カテゴリー「'10- Triathlon挑戦記」の73件の記事

2018年4月 8日 (日)

よくある質問「八田さん今トライアスロンやらないんですか?」

4月第1週 「粉飴」さん 総会にお招きいただいた。100人近くいて半分以上が市民トライアスリート? こんな場では

「はじめまして ※リアル世界では」

的なご挨拶をFacebook友達さん達と次々交わすことになる。一度も会ってなくても既に友達な幻覚もたされてるのはザッカーバーグ氏の魔術か。その流れで頻出する1つが

「今 (or もう) トライアスロンやらないんですか?」

的なご質問だ。直接の回答は、とりあえず今年はやらないですねー、となるのだけど、ちょっと説明してみよう。

まず、僕は自分のことを「トライアスリートという存在」だとは、そんなには、思っていない。まして「速いトライアスリート」だとは思っていない。ゆえに「速くあり続ける」という願望はない。

ただ、「速くなってみたい」という願望を持ち、そして実行してみたという経験があるというだけ。37歳ごろから5年くらいの期間のことだ。それは人間全体(存在・実存)というよりは1つの経験というレベルでの話。

//// 第1のゲーム ////

この時おもしろかったのは、運動に苦手意識のあった僕がアスリートとして急上昇してしまうジェットコースター急発進感。本の2章前半に書いた通りだ。

この「ゲームの設定」は、30後半の身体、という放っておくと性能低下してゆくマシンを使うこと。スイッチを入れてから3年、予想を激しく越えた成果にノッていって、41歳を越えた2013シーズンに、僕の最高性能に近いところまできたかな、と思った。

同時に、本の元になった修士論文を書くという異常事態wにより、トライアスリートである、ということを表現する新目標が出現。これは「トライアスリートとしてのハッタリくんというキャラクター」を「現実の八田益之」が他人として観察し操縦する、すなわち客観視することになり 、その適度な冷静さは安定した競技成績も呼び寄せたかなと思う。

こうして初期のゲームをクリア。その感覚は本の最終章あたりが近い(けど書ききってもいないかな)

//// 第2ゲーム ////

次のゲームは短くて、翌2014年の1シーズンだけかも。40前半の身体でパフォーマンスを維持するゲーム。それまでのゲームほどには、、と感じはじめていた。ここまで続いたんだから、というモッタイナイ感というか義務感的なものもあったかも。

とはいえこれはこれで、JTU4連覇目(=翌年シカゴ派遣)、伊良湖総合優勝(=地域誌への初の有料原稿執筆)と、ここにしかない収穫もあった。

//// 第3ゲーム ////

そして2015〜2016とグライダーを降下させる。2015年5月末の横浜大会後には 「トライアスロン開始5周年、その変化について」 と題したブログでゲーム変更をほぼ宣言してたり。

この降りる感覚はそれはそれで楽しくて、なぜなら、上昇したからこそ下降もできるのだから。笑

同時に始まったのが、表現、執筆という活動。前のゲームがあって、始めて突入できた新世界。このための精神的エネルギーは、レースで最高を目指すのと、僕にとって両立しない。(たとえば為末大さんの表現活動は、世界トップを争った選手としてのピークを終えた後に本格化している)

//// 本題 ////

と、ここまでが前置きです。長! つまり、見てる景色、願望、舞台であり道具である身体、、、いろいろ違うということ。

すると、どうなるだろう? 僕にはわからん笑

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1つ確かなのは、37歳ごろに「速くなりたい」という願望を実行してみた4−5年くらいの僕の経験を、見ず知らずの多くの人たちがおもしろがっていただいているの、嬉しい。

この年度末、出身の中学&高校に自著を直接寄贈。中高生には難しいだろうけど、2章からなら、スポーツに興味あって読解力あれば、それなりに読めるだろうとも思う。

上写真の岡崎高校の職員室は、質実剛健の美名のもと、20世紀な地味さそのまんま。

幸田中学では、当時数学を教わった伊藤先生が校長先生として定年最後の年。在籍最終週にまにあった!

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「難しい本だよね笑、まず先生方に読んでもらおう。」と伊藤校長。いかにも難しい自覚はありますが、、部活指導などにお役立ていただければ嬉しいです。

//// 結論 ////

とはいえ幾ら表現がおもしろかろうと、レースで最高の成果を目指し、実現するということにしかない興奮はあって、それを忘れることはない。

なにしろ僕はトライアスリートという存在なので ←オイ

それを再現しようとしたとして、37歳からのジェットコースターと同じものにはならない。KONA'13でのパフォーマンスは、仮に僕が20代〜30前半ころにトライアスロンしてたとしても、それ含めた生涯ベストに近いものになったことだろう。でも今からそれは無理。かわりに、当時のジェットコースターとはまた別の何かになるだろう。

その時々に楽しめるものを楽しめればいい。

・・・

「粉飴」は吸収速度が運動時に有利な「マルトデキストリン」を主体にしたエネルギー補給食。発売元のH+Bライフサイエンス社は、食品化学の名門、林原をベースとした医療用製品の会社で、品質・信頼性は最高レベルだと思う。コスパが圧倒的で、トレーニングから気楽に使えて、レースシミュレーションもしやすい←ココ大事

本はアマゾン には在庫ないこと多いので、 私の直送ショップ ←もご検討ください。

2015年6月27日 (土)

「考えるトライアスロン」とは 〜JTUレース卒業(仮)に寄せて

4度目の館山で、初めて富士山を見た。
去年は雨、前2回は眺めの無い宿。
もっと小さいと思っていた。
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明日は僕のJTUシリーズ最終戦にして、いわゆるディフェンディングチャンピオンとして臨む館山大会。
 
ちょうど、2010/7/11蒲郡大会でのデビューから5年。
これを以って、JTUランキング参戦も終わりにしようと思っている。
チャンピオンジャージは2011-14の4枚でコレクション終了だ。
 
僕には、トップ選手のように綺麗に速く泳ぎ走る能力は、全く無い。
無いものは幾ら頑張っても無駄。ゼロの掛け算てやつだ。
 
そんな自分がもしも勝てるとするのなら、それはどのような状況か? と鈍足駄馬なりに考えて、ここまでやってきた。
だからハッタリくんは、「考えるトライアスロン」であり、「頑張るトライアスロン」ではないのだ。
 
「考える」とは、単なる頭の中の話ではない。
幾つかの鮮烈なレースが、日本のあちこちにあった。
その記憶は身体に刻み込まれ、それをたどりながら、どうすれば勝てたのか?と考え、練習で試し、レースを迎える中で、「考え」として形になっていったもの。
 
館山大会もそんな場の1つだ。
初回は2012アジア選手権、残り3kmまで先頭を走り、それまでとは戦いのレベルが明確に上がったことを感じた。https://masujiro.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/2012-9cda.html その年は村上伊良湖と総合2位が3度。もう1つ上に、と願い、翌年に叶えた。
 
こうゆうのは、毎月のようにレースが続くシリーズ・ランキングならではの体験に違いない。
そしてそれを僕は、十分にやり尽くしてきたとも思う。
 
ここからはレース数を絞って、集中していきたい。
お台場の日本選手権も出てみたいしね!
 
最後かもしれない館山、楽しもう。

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2015年6月20日 (土)

電車で自転車かついで大会出場する僕の方法

<デビュー5周年>

明日は蒲郡オレンジトライアスロン。27回目という伝統の人気大会であり、5年前にハッタリ選手がデビューした大会としても一部では知られている(このブログにそう書いてるから)。当時、「トライアスロンちょっと興味あり」という程度だったけど、実家からクルマで15分という気楽さから、申し込んでみたのだった。

もしもこの場所、その時期にこの大会がなければ、また申込時点で空席がなかったならば、僕はトライアスロンをすることなく今に至っているという可能性さえ、実はわりとある。この出場後の振り返りで、長良で表彰台を目指そうと思い、本当に上がったことで、ランキングを目指して波崎村上と人生初のスポーツ遠征に出たのであった。そうゆう勢いて大事だ。

今年のポイント制度ではメジャー4大会の1つ、ランキング上位者が勢揃いだ。ま僕は愛南よりは上げようて程度。今年のターゲットは9月一点集中。

 

<自転車遠征術>
そんなデビュー5周年となる大会に向け、金曜夜に自転車担いで実家入り。
電車に自転車を持ち込んで移動することを、輪行=りんこう、と呼ぶ。ギョウと読んでしまうと密教の修行のようだが実際、苦行、な要素もあるな。。
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その最大のリスクは、疲労によるレースへの悪影響だ。そこで、前日移動なら、宅急便で宿へ出来る限りの荷物を送っておく。自転車からシートポスト(=重たいISMサドルも一緒に)やDi2バッテリーを外して荷物に入れることも多い。これだけで自転車を担ぐ負荷感は軽くなる。
ただし、移動が楽な実家へ2日以上前に入る場合には、全部背負っていくこともある。今回はこれ。

 


レース後の追記: 2日前の夜移動で、別送なしの全部背負は、ギリギリ疲労残ります。やはり、自転車以外は別送お勧め。

 

<輪行バッグ>
輪行バッグは前輪だけ外すタイプ。TTバイクでは、オーストリッチの大きめの(たしか超速FIVE)、TTハンドルそのままでOK。駅で3分で収納できるので圧倒的に便利だ。できればもう一手間かけ、チェーンに古新聞をかぶせ、さらにテープ止めまで出来れば完璧。これでも合計5分。これだけでバッグを綺麗に保つことができると思う。僕のは既にグチャグチャ。

 

DHバー抜きのロードバイクなら、TIOGAコクーンの方がコンパクトで便利。(ただし写真のようにサドルを露出した状態はJRルールでは禁止されており、輪行袋の中に全て収めてチャック締めすることになっている。こうした対応のためにも6角レンチは携行しよう)

 

これら、後輪つけたままのタイプはかさばるけど、東海道新幹線「こだま」なら問題ない。3列席の最後尾の荷物置きスペースにそのまま収まるし、その空間が空いている確率が高い(旅行者、出張者が少ないから=逆に、のぞみ・ひかりは大型荷物の収納スペースが少な過ぎる。これ国内短期出張者しか想定していないよね)。

 

そこが空いてなければ、自由席7号車−グリーン8号車の間の広い通路の壁によりかけて、パチンとはまる紐で手すりに留める。ただ最近の車両では喫煙ブースが出来て、通路が狭くなり、少し気を使う必要がある。

 

前輪は、クッションの厚いホイールバッグに入れることが多い。これは予想以上に便利で、段ボール輸送の場合にも安心だ。移動中は、輪行バッグの中に入れてもよいが、それで中でバラバラ動かれるよりは、別に手に持った方が安心。ただし、乗換などで忘れないように!

 

なお、後輪まで外す輪行バッグの方が主流だろう。実はこれも持っているけど、ほとんど使ってない。在来線の特急(新潟〜村上間など)、少し混雑した都心の電車、などに持ち込みやすいメリットはある。ただ僕の経験では、後輪付きでもなんとかなっている。後輪を外してると時間がかかり、手も汚れるデメリットが大きい。(軍手つかえ)

 

<ルート>
小田原まで小田急で行くことで、都心駅での構内移動を避ける。下りの「こだま」乗客の多くは小田原で降りるから、車内が急に空くこともある。熱海以降はさらに空く。

 

こうして、空いたルートの、空いた時間帯に移動する限りは、乗客にも嫌らがれることはないし、駅員さんから注意されることもない。
 

なお言うまでもないことだと思うけど、「ご迷惑をお掛けします、恐れいります」という気持ちと態度でね。「持ち込むのは客の当然の権利だ」的なのは遠慮しましょう。

 

小田急の唯一の注意点は平日の通勤ラッシュで、成城学園で17時を過ぎると車内に入りずらいこともあり、18時過ぎたら不可能。入れない時には鈍行を使う。新百合ヶ丘あたりまで行けば急行に乗換できるだろう。
相模大野を過ぎると車内は急に空く。冷房は都内の混雑向けに設定されてるので、冷え込んでくる。長袖は必須。

 

できれば、風邪感染防止のマスクもしてゆくべきだが、いつも忘れている。まあ、それで風邪ひいたことは今まで一度も無い気がするが。

 

<事前準備>
移動中の余計な負担を避けることも大事で、前日までに、SUICAを少なくとも帰路分まで十分チャージしておく、倹約家のワタシは大黒屋で小田急株主優待乗車券を2枚買い(株そのものを買う手もあるが)、売ってれば新幹線回数券も買っておく。 小田原では、海側の駅ビル2階に金券ショップがある。これで8−900円くらい浮かせる。

 

お弁当とか買うのも面倒なので、米を2合くらい、ラップした味噌と一緒に持ってくことも多い。さらに片道数百円浮かせ、計2,000円の節約。これも30レース重なると6万円。

 

<忘れ物対策>
これ重要。傘を置き忘れるのと、ヘルメットやホイールを忘れるのとは、行動としては大差ないからね。
そこで、「今日の荷物は4つ」など、家を出る前に個数を声出し確認する。
降りる前に「1234つ、OK」とカウントする。(そう声に出すことで、周りの人達が自転車を移動するためのスペースを空けてくれる効果もある〜それをアナタが望むかどうかは別として)

 

ここには「長良川ヘルメット事件」の貴重な教訓が活かされている。デビュー2戦目、初めて表彰台に乗った長良川大会は、実家から電車と自走で2時間くらいで、初めてのレース会場への輪行。その行き、いきなりヘルメットを網棚に忘れるという洗礼を受けたのであった。とりあえず会場に行けばなんとかなるだろうと行ってみたら、会場の臨時ショップで買えて、無事出場できた。で年代2位入賞の副賞が当日限り商品券1,500円、それで代金の一部を相殺してもらい、帰路に元のヘルメットも無事回収できて、割とオトクであった。

 

ちなみに、翌2011年の長良川では初の総合入賞を果たし、副賞商品券でTYRの大型バッグをいただいて、以後遠征で使い続けている。2013年の商品券は、別途購入したJAPAN代表ウェアの代金相殺にあてた。長良川は良い大会だった。今は前日受付必須になってしまったので、もう出ることはないと思うけど。

2015年5月31日 (日)

トライアスロン開始5周年、その変化について

<5年前>

たしか5年前の5/27頃、藤沢市民プール回数券11枚3,000円を買い、20年ぶりにマジメに泳いでみた。全身に覆いかぶさる疲労感の中、1日おき計3回くらい泳いだら、50m45秒巡航くらいかに上がってきた。そして地図ソフトで1kmコースを調べて、ブカブカなNike Air-Maxで4分で走ってみた。OKいける、と7週後の蒲郡大会に申込んだのが5/31。この5日間の行動から、僕のトライアスロンは始まった。

翌日£153のウェットスーツをCRCで注文。ちなみに当時は1ポンド132円(今は190円)、一度でてみるだけに2万円、となる可能性もあったけど、だとしても当時家から10分の江ノ島・片瀬海岸でのボディボードや水泳で使うオモチャとして十分かなとも思って。 JTU登録は直前の6/28。(今では申込前に必要)

7/11、レースでてみたら、けっこう行けた。じゃ表彰台に乗ってみようかと、8/2長良川大会に直前申込したのは7/24。たぶんこの13日間に、僕にはできるんじゃないだろうか、って考えたんだろうな。直前なので、レースNoは3人くらいだけ離れた変な番号、ゼッケンが手書きだったような記憶が。

その時のブログ→「賞を頂きに、長良川トライアスロンへ。

それで本当に表彰台に乗ったら、じゃ年間ランキング獲ってみようかと、その時点でエントリー可能な9月の波崎と村上に申込。いまや当選がラッキーな村上大会に、5年前は、1月前に入れたのであった。それで年間ランキング2位。

あれもこれも、今ならありえない緩さだ。そうして調子にのって今に至る。という話を、

トライアスロン・マガジンで少し喋ったわけです→

あれから5年、最高の瞬間を幾つも得ることができた。(それも喋った)

1610941_825946484157477_25807562229←撮影:石原さん

<YOKOHAMA>

横浜大会には2011年9月から5回出続けた。今回ほどBike+Runで同世代ゼッケンに抜かれたレースは無く、周回遅れ組ふくめ気づいただけで4−5人に抜かれたと思う。

その一人、Bike2周めに抜かれた星さんとの差が少しづつひろがっていった時点で、20大会続いた連続表彰台が途絶えることがわかった。

いつもは、居たとして、1-2名。そして同年代には1人でも抜かれてはいけないのがJTUランキング争いで、2位に落ちたら、もう1レース追加しないといけない。敗戦の罰金5万円だ。よくも今まで、そんな厳しいレースを毎年4つも5つも、僕は続けてたもんだ。

そんな中、レース中にいだいた声援は格段に増えた。それはRunで僕の後ろを走っていた方からも言われたから、空耳ではないようだ。 おかげでレース途中で勝負を捨てても、今までになく楽しめた。

レースへの向き合い方を変えるよと直前に宣言したばかりだけど、そんなの読んでないはずの人達から、思った以上に応えてもらった感じ。 

<変化>

これが5年間の変化、もしくは成果。

横浜はとくにチーム参加者が目立つ中で、単独の僕は長年地元だけどアウウェー戦。表彰式で周りの人達に話しかけて知り合いがちょっとできて、的なのが続いていた。

一方で、単独活動には副産物もあって、一人なので独力でいろいろ調べて、やってみて、という経過をネットに書き続けてきた。それは、大きな精神的エネルギーになってきたように思う。

すると、ブログ読者さんは確実に増え続けて、特にこの1-2年、 レースはその反響を感じる「ライブ」ともなってきた。

自分の勝利を追求する自己目的な閉じたものから、その経験を共有するための開かれた場へと変わってゆく。

速さと表現の両立。速さ=競技成績をきっかけに、表現の方にも注目してくれた方も多いと思う。できれば両立したい。ただ成績は水モノで、今回は宮古後の腰痛で少し練習を落としたら、緩んだままだ。

まあ、それはそれでいいかな、て気分。春までに申込済の6月の3レースで今年のJTUランキングは終了させる。つまり王位は4連覇での終了。オリンピック1個分の期間、よくやったぜオレ。

9月の世界選手権に向けて、すこしづつ上げていくつもり。「年代ほぼ最強」の看板は、まだ降ろさない、笑。

そんな中だからこそ書けるものもあると思う。新たな表現へ向かおう。

 

<おまけ:器材について>

ところで、横浜のバイクは、スプレー式のパンク修理剤「マルニ クイックショット」をフレームに巻き付けた。少なくともショートレースでは、チューブやタイヤを換えてたらレース終了。かといって何も持たずに、小さなキズ1つで途中棄権してしまうのは残念だよねー。これくらいが丁度よいのでは。ロングレースなら大きなキズにも対応できるよう、タイヤ自体を積むメリットもあるだろうけど。

(←ファーストエアのが操作性高そう。値段も)

ちなみに、優勝の疋田さんはアルミリム+カーボン蓋のコスミック・カーボン。巡航性の大事なトライアスロンでは、実はこうゆうのが最強かもしれない。パンクしてもチューブ交換で済むから楽だし、レースと練習とでブレーキパッドを換える必要もない。(※練習からカーボンホイールを使う方も目立ちますが、それはあの値段を「安い」と思える財力が必要な行為ですので、迂闊にマネしないようにしましょう)

構造的にやや重くなるが、プロの自転車レーサーも、むしろ重さのあるこうゆうホイール(というかこのホイール)を好むそうだよ。登りコースなら別だが。

・・・

それから、タイの洪水後高騰していたメモリ価格が、さいきん急降下中。僕のMacも4GBから12GBに3倍増させ、購入直後の軽快感を取り戻した! 2個セット計8GB7600円で買った1−2週後に7080円まで下がってたけど、一時は2-3万したようなので誤差の範囲。作業環境への投資は大事だ。
(購入前に型を調べた上でね。僕だと「1067MHz DDR3 PC3-8500」で検索。「PC型番+メモリ」検索でもわかると思う)

2015年5月16日 (土)

トライアスロン・マガジン2015ちょっと掲載/今年はレース方針かえます

ベースボールマガジン社から 5/15発売された"トライアスロン・マガジン2015"、「トライスリー卜実態調査」にちょっと載ってます。
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宮古ゴール少し後、日常の中で最もハイな頂点(非日常ともいう)に襲撃を受けたため、「トライアスロンとはあなたにとって?」という質問に、「情報収集と実験と分析と計算です」とは答えずに、まったくもって感傷的な言葉を吐いてしまった。ワタシとしたことが。
 
この本は、良質なスポーツ雑誌を長年刊行してきたベースボールマガジン社の、しかも「ランニング・クリール」誌の編集部によるプロジェクト。それが内容にも反映され、 「競技」としての基本を、既にスポーツには親しんでいる層に向けて、マジメに書こうとしている印象。
先行する月間誌「トライアスロンLUMINAN」はライフスタイルとして捉えた趣味的な色合いを感じるし、また白戸さんなどが書く入門本なども、比較的、まったくの初心者をイメージターゲットにしている印象を受ける。作り手による違いだ。
 
書店には大きめのとこでも少ししか置いてないようで、Amazonが確実です。
 
 ・・・
 
さて明日の横浜から、僕のJTUにほんブログ村 その他スポーツブログ トライアスロンへランキングシリーズが開幕。
 
この5年間、全てのレースを決戦として、気持ちを入れて取り組んできたけど、今年は変える。全試合ベストコンディションで勝ちにいこうとはしない。 日常の延長として、トレーニングの一環として、いつも通りに走りにゆく。結果は狙うものではなく、トレーニングの結果、ただそれだけ。今年のピーク設定は9月の世界選手権。
 
全てのゲームに勝つべきとは限らない。
 
トライアスロンへ注ぐエネルギーを減らすつもりはなく、5年たった今だからこその、いろいろな進化を試みてゆく。

2015年2月 8日 (日)

4枚目のJTU年間チャンピオンジャージ 〜その「感覚と思考」

JTU年間チャンピオンジャージが届いた。トライアスロンの練習始めて1年4ヶ月で最初の1枚がマグレで回ってきたのだけど、以降マグレは4年続いて4枚目。
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ランキング決定は、8月24日うつくしまトライアスロン。当時の報告投稿へのFacebookいいね!109、今回のジャージ写真は過去最高の300超。なんだこの差は。しかも8/24は僕の42歳の誕生日だというのに(言ってないけど)(夏までに忘れてください)。まータイトル獲得よりも僕のジャージ姿の方が良いね!て評価だと受け取っておこう。花より男子的な。ちなみに僕はフクヤマさんと同じ属性の40代です!
 
<駄馬と駿馬>
と愉快な冗談はさておき、僕は100m走の生涯ベスト15秒の駄馬。中学高校と水泳も長距離走もやってたけど県大会にも届かず終わった。それでこんなものを貰い続けるなんて、日本のトライアスロン界はなにかが間違っている。
 
まー駄馬でも居ないよりマシなわけで、3匹揃えればこの通り戦えるのがトライアスロンだ。とはいえ、当時県大会以上に出てた同世代の(そして若い世代の)駿馬さん達は大量にいて、単に今やってないだけ。やってて僕より速い方も同世代に何人もいるだろう。
 
身体能力の低さは自分が一番わかっている。その上での僕の動機はというと、勝てるなどとはつゆ思はず、ただその過程が面白かった。正しくトレーニングを続けると、3日サイクルくらいで機能向上する実感を得られる。(=だから僕のトレーニング・グラフは3日移動平均) 
自分の身体とは他でもない自分そのもの、いつも自分の内に確かに存在するもの。その成長には、他の何にもない圧倒的な確かさがあった。それは「実感」なんてふわーっとしたものではない。現実の存在、実存なのだ。
 
そんな絶対的な確かなものが、当時30代後半というお年頃に、ずどんとハマったわけだ。
 
<結果と過程>
そうしてレースに出て、表彰台が近いぞとテンション上がり、人生初の表彰台に上がり、全国ランキングも上がり、「棚からジャージ」が落ちてきた。
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この2年はタイトルを狙って獲ったけど、それでも最後にサイコロが僕の側に転がっただけ、その先に僕が居ただけ。成果とは、偶然の産物だ。努力は成果を保障しない。努力することで実現するのは、「サイコロが転がる可能性のある位置にまで辿り着く」ことまでだ。少なくとも、椅子が1つしかないような場合には。
 
確かなのは、そこに至るプロセス。
僕にとってそれは、「知識→感覚→思考」のサイクル。
  • 知識: 身体は有限な資源だから、無駄遣いせずに目的を果たせる方法論を知ることが出発点 
  • 感覚: でも理論は単なる「発射台」にすぎず、ひとたび飛び立てば、その先は感覚だけの世界 (だから僕は「科学的トレーニングはしていない」とも言える)
  • 思考: そうして得た感覚と、知識とを結びつけて、自分なりの知識を新たにつくり上げる。その知識とは感覚そのもの、その一部しか文字にできないもの
※ トレーニングは苦しむもの、追い込むもの、と思い込んでいる人は多そうだ。でも僕は苦痛も「感覚」の一要素として捉える。そして、その追い込んだ体験から何を得るのか、という「思考」にまでつなげる。この工程がもっとも奥深い。
 
そのサイクルを回すことで、「感覚と思考」を高めれば、体力は後からついてくるだろう。この考えは初期から変わらない。毎年オフに体力レベルを落としているのもそのためだ。感覚と思考さえ維持できていれば、体力は3ヶ月でも作ることができるから。(速い人達の練習量が往々にして少ないのも、これが理由だろう)
 
トライアスリートとしての僕の本質は、そんな「過程」にあると思っている。「宮古島総合10位、JTU5連覇」とかのではなくて。結果がどうであれ、その過程を研ぎ澄まし、表現してゆくことで、僕は僕であり続けるだろう。
 
<かつての駿馬たちへ>
だから、僕の文を読んで刺激されたかつての駿馬達に僕が弾きとばされることに、僕には何の躊躇いもない。駿馬さんたちが本来の力を発揮する日が訪れるまで、僕はここに至る過程で得たノウハウ、その「感覚と思考」について、余さず書き続けてゆこう。
 
 
勝つのはオレだけどな。
 
 
・・・おしらせ・・・
今日は室内固定ローラー2時間の途中、腹筋とモモ全体の内側が攣りそうになってたいへん!
痙攣防止には塩分に加えてマグネシウム+カリウムが有効で、錠剤なら数百円から:

クエン酸も事前摂取すればコスパ最強セット

ところでもうすぐなんかあるの?

2015年1月 4日 (日)

2015年、「40代最強トライアスリート」の名を懸けて

「生まれるのに忙しくない人間は、死ぬのに忙しい」  (ボブ・ディラン, 1965)
 
5thアルバム"Bringing It All Back Home"より、"It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)"
 
去年の単純な延長としての今年ではなく、新しい何かを生み出す一年に。
それにより、僕らは生まれ続けることができる。
生み出されるものに同じものはなく、その誕生の瞬間は、いつも一度きりのもの。そんな瞬間を大切に。
 
レースへと向かい、日々高めてゆく身体も、ちょっとした誕生を日々続けているのさ。
そのためのトレーニングも、いつも一度きりのもの。
練習距離だけでは何も表現しない。そのペースも動作の質は表さない。微細な変化に対する感覚を研ぎ澄まし、まだ見ないなにかが生まれるかもしれない瞬間を捉えてゆく。
(以上、ハッタリくん, 2015)
2015年シーズン、ショートJTUエイジランキング4連覇中にして、実はロングのがいけるこのハッタリ選手が「40代(ほぼ)最強トライアスリート」であることを確認してみせよう。
 
<初戦: 418宮古島>
申込時の自己アピールは熱意を込める方が多いそうだけど、僕のはシンプルに一行、
「40代最強トライアスリートの一人として、総合10位入賞を頂きに伺います。」
選考係の方も読みやすくてよかったでしょう。
問題は、その後。
 
<JTUエイジランキング5連覇へ>
新制度が発表 された。積算対象が1つ増えて4レースに。9月には招待の伊良湖→シカゴが確定しているので、4戦以上を、5678月に。毎月レース、きついぜ/たのしーぜ
 
ショート6〜7+ロング1というレース数は過去3年と同レベルではある。2014ショート7、2013ショート5+ハーフ1+ロング1、2012ショート6+バイクレース2。
問題は、シーズン始めにロングの宮古があり、次の横浜まで4週しかないこと。2013年はハーフ常滑の3週後の館山は、その間のトレーニング不足もあり(これが難しい)、負けている。
 
4週間で、身体をロングからショートに一気に切り替えねばならない。しかも、切り替わった直後からトップコンディションを実現できでなければ、出場する意味は無い。
かといって出ないのは、シーズン開始前に「1敗が確定」するということ。
どの選択をするにせよ、過去最高レベルの難度となる。
 
今年のポイント設定は、最高Aランク3戦のうち横浜以外の2大会が発表されていない。1つ謎なのは、最大規模の館山・あいずのC大会扱い。あいずは去年の大会時、規模拡大方針が発表されてたから、決定までの暫定である可能性はある。館山も見直しがあるようで、もしや昨今の地政学的・政治的情勢の中での自衛隊さんの位置づけ変更の影響? だとすると、未確定のAランク2戦は、本命蒲郡、対抗ひわさ、大穴の本命あいず、大穴の大穴館山、とみておく。
おそらく僕の出場レースは、517横浜, 621蒲郡, 802長良川, 823あいず、バックアップで館山など。
 
このレース日程を今後も続けるのは大変。JTUランキングは、今年で最後になるかもしれない。もしくは、宮古を最後にする。総合10位に入れなければ、まず次は出ないだろう。
 
その瞬間は、いつも一度きりのもの。
そんな瞬間を大切に、新しい何かを生み出してゆく1年へ。
 

2014年10月10日 (金)

2014振り返り1「心」 〜勢いの重要性について

前回は、原因と結果を取り違えないように、て話でもある。
 
たとえば大学入試で、合格者が1日平均10時間勉強し、不合格者平均が8時間だったとする。へー10時間勉強すれば合格するんだ、とは普通考えないよね。そりゃ量も影響するけど、もっと見るべきは現実の人間の姿だ。「知ることが好き、テストで良い点を取れた、目標に近づいて楽しい」人達もいれば、「その知識に興味もてない、テストは苦手、目標をリアルに感じない」という人達もいる。前者は「もー10時間!」的に濃い時間が早く過ぎるし、後者は「まだ8時間…」。こんなとき合格の「原因」は、勉強が楽しいという本人の内面にある。
 
では、 「毎日5分走るという原因」が「健康という結果」を起こすのか?
前回書いた、5分だけでも効果はあったよ、という話で言えば、その通り。
ただ、本当の原因は、「毎日5分以上走る習慣のある人は、ない人と、何が違うのか?」という問題意識の先にあるはず。たまに5分走るのは簡単だけど、毎日続けるには、走るという動作が身体に染み付いている必要がある。そんな人は日常のいろいろな場面でこまめに身体を使ってるだろうし、その効果が蓄積されてゆく。実際、練習量不足でも高い競技成績を維持してるエイジの方々には、日々身体をまめに使っている人が多い気がする。そんな習慣を持つ人ほど健康度はより高く、統計値を押し上げるだろう。
 
たぶん突き詰めれば、身体と心に刺激ある日々を送ることが大事。
僕にとって一番気持ちの良い刺激がここにあるから、走っている。
 
温かい上質な日本酒が美味しい秋。
僕にとって過去を語るべき時が来たようだ。
 
新潟の一部地域以外には頼まれても卸さないという名酒「鶴の友」について語るべき時はもう少し後。
 
1年前、アイアンマン世界選手権を終えた僕は、その大きな余韻の中でレポートなど書きながら、

市民トライアスリートとして見るべきものはあらかた見尽くしたかな、なんて気持ちになっていた。そして1月半ばまで、ほぼ季節1つ分、トレーニングをする気持ちにならなかった。軽く走る程度で。

 
そこから4ヶ月で鍛えなおし、4月初めには世界選手権派遣対象が今年のランキングからになることも発表されて本気度も上がり、初戦の横浜を迎えた。しかしほぼ良いところなく実質年代3位(事故なければフクモトさんにも負けてたと思う)。慌ててトレーニング強度を上げ、ホシさんに負けたら王手がかかる1月後の館山で勝つ。この6月末時点が今季のピークだっただろう。
 
1月後の天草はバイクが僕の得意なド直線コース、ランも割と得意な起伏コースで、年代別で勝てると判断した。予想通りに勝ち、4連覇を実質的に決める。この前後から、緩み始める。アタマではもっと強く、もっと速く、と思い、ネットにもそう書いてきた。ただ、気持ちが、少しだけ、弱い。その頃に新しい仕事上の取り組みを始めたのもあったけど。(でもそうゆうの、読者の皆さんにとってアタリマエなことでしょう)
以後は、緩やかに降りながら、レースにはギリギリ合わせていく。伊良湖ならラン勝負と見て対策したら、スイムバイクが落ちて本当にラン勝負せざるをえなくなった、というように。8月会津でランキング確定、念願の伊良湖も優勝、と達成すべき成果を揃えたら、最終戦の村上ではデビュー4ヶ月後と同レベルにまで種目別順位も落ちた。
 
かくして、自分の弱さを見つめなおしてシーズンを終える。村上直前は、結果を気にしないエンジョイレースもたまにはいいかも、なんて思っていた。しかし走ってみるとそんなもんは存在せず、あったのは、オレって弱ぇ〜〜と突きおとされる敗北感だけ。
 
改めて思ったのは、僕は「強い選手」ではないということだ。「強さ」があるとすれば、少数の重要なレースで、その時と場所、その相手との関係の中でだけ、一時的相対的に表れただけ。そしてすぐ消えた。静態ではなく動態。儚いもんだ。
そして悟った、トライアスロンの神様は「その程度の練習ならこの程度の結果しかあげません」と仰せなのだと。相応の準備を積むか、さもなくば、自分の弱さを全身の感覚で理解するか、それがトライアスロン。
 
じゃ「その程度」の練習とは、結局「何の程度」なのか?  それは、 直前の勢い=加速度。真実はシンプルだ。
 
伊良湖で勝ってシーズン終えてたら忘れてたかもしれない。来年どう目標設定するかは決めてないけど(社会人アスリートはここからだよねー)、この単純な学びだけは、外さないように。
 

・・・おしらせ・・・

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2014年6月18日 (水)

【レース展望】ついにトライアスロン日本選手権'14東京都予選だよ〜

トライアスロン東京都選手権2014は6/22渡良瀬遊水地で開催→http://www.mspo.jp/watarase/
出走42名、うち東京都所属の39名が、7枠の日本選手権(と補欠含め3枠の国体代表)を争う。
上位当選枠であるJapan-cupポイント獲得者は今年も去年も外山選手1名のみ。よって繰り上げ当選分を1名=日本選手権は実質8枠とみる。(学生さんとか急成長してランキング入りする可能性はあるけど、そこは期待しないでおこう。外山選手が圏外に押し出される可能性だってあるしね)
526741_425698600785676_556704068_n<写真は'12関東選手権>
 
今年の1月半ばにトレーニングを再開してから5ヶ月。日本選手権を目標設定したのは3月半ば。その最低条件とは、それからの3ヶ月間でスイムの劇的進化が起きることだった。そのために、いろいろ本読みなおしたり、外国の本まで探してきたり、動画コレクターと化し、分析魔と化して、最後に撮影したり。
 
しかし知識は増えてもタイムは一進一退。「おもいで出場」に切り替えようかなと思った。収穫もあったし、と。
けれども、ここに来てこれしかない、と信じ切れる知識の体系が固まってきた。実際その感覚も掴み始め、練習タイムもガクンと上がり始めた。
 
劇的進化、というには、まだ足りないと思う。ここから1ヶ月でも泳ぎ込めると、さらに1レベル上に上がれるのかもしれない。まあでも、そんなもんなんだと思う。理想を追求すればきりがない。今ここにある自分で、出来る最大限を試すまでのことだ。
 
そんな「今できること」の1つは、対戦相手を知ること。
2014春の関東地区の「JTU記録会」での公開資料から、10級以内を中心に、主要ぽい参加者をざっと調べてみた。400m自由形と5000m走タイムは
 
寺澤 光介   4:11   17:34
平野 司    4:18   17:6
保坂 圭太郎 4:23   17:47
清本 聖    4:31   17:21
生井 一公  4:30   17:51
佐藤 謙太郎 4:36   16:4
原 恭平    4:38   16:11
西崎 昌宏  4:40   17:17
笠原 大康  4:44   15:56
今井 隆生  4:49   15:34
福永 晃樹裕 4:52   17:8
阿部 吉貴  5:18   16:5
阿部 嵩大  5:23   16:4
井上 賢吾  (去年S20:52 R35:51)
犬童 太一  ?
 
10級以内は13名かな。僕はというと、400m泳も5,000m走もタイム測ったことがないので、さっぱりわからない。体調不良やら練習不足やらで、少々の脱落者は出るだろうが、その分、ダークホースも出現するだろう(たとえば僕のような)。
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そして当日、スイムでどうゆう集団が形成され、バイクでどう変化するか。そのどこに僕が収まるか。
 
スイムは、当日ふくめたこの5日間で、もうあとひと伸びできるだろう。さらにスタート直後の立ち回りに成功して、数名と想定される「400m4:40−50レベルの集団」に入れると、希望がつながる。
4分前半の強豪スイマーが少ないのが、関東選手権との違い。だから彼らがリードしても、バイクで追いつく可能性は高い。そのバイク「追いつき集団」は、「スイム4:40-50集団」と一致する可能性が高い。そこに食い込むことが、僕のゲームプランの生命線だ。切れたらそこで試合終了。
 
こうして先頭が大集団化した場合、ラン5000m16分台以内の6名が一気に有利になる。そのレベルの出場者は他にもいるはずだ(たとえば僕のような)。
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そして「8位まで2分差くらい」でランに突入できれば、ゲームはコンティニューかな。
 
横浜で進化したランは、しかし速すぎた反動で左腰にハリが出て、以後、レースペース少し下を週1で走ってきた程度だ。でも、何があっても故障しないしぶとさがハッタリ選手の特徴。
今回も、異常をごまかす新走法を発見した。それは筋負担が少ないため、中1日でレースペースを繰り返しても違和感が出ない。新たな武器となりそう。
さらに、いまさらようやく「モモ裏=ハムストリングを活用した走り」という基本的なことが、実行できるようになった。
これにより、
  1. 序盤は、筋負担の少ない新走法で3:45で脚を落ち着かせ、
  2. 中盤、ハムストリングを駆使する二段ロケットに点火、3:35に上げ
  3. 勝負どころで、「横浜走法」投入、3:20台でまくりまくる
と、夢の10km35分台を目指すパーツが揃った。かな?
 
決戦まであと5日。
ダメ元参戦なんで、楽しんでいくよ〜
 

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2014年5月 5日 (月)

42歳を迎える今季に、生涯最高のパフォーマンスを。

それにしても、初戦まであと2週て、あっという間だなあ。
思うほどではないにしろ、レースに臨む状態としての最低限は、クリアできているかなあとも思う。
 
僕はシアワセなことに、競技成績としては過去4年で「ほぼ」やり尽くした感はある。
残りのカケラたちを、これから4ヶ月でつかみにゆく。
 
技術は上がり続けている。(このブログ書くのと技術研究はセットだよ)
競技を巡るいろいろな状況にも恵まれている。JTUの派遣制度もその1つだ。
一方で42歳を迎える僕の身体能力は、どうやら天井スレスレのようだ。あとはいつ落ち始めるか、てとこだろう。
他に追求したいものも膨らんでいるしね。
いろいろな理由から、この2014シーズンの成果を、過去最高のものとしたいと思う。
101239919001300055843_t0kcmw4gla<'13横浜No-Side2>
ある頃までは、僕の関心は順位にしかなかった。
今、最高のレースをしたいという衝動は、それを上回っている。
そして、今ある状況の中での最高の自分、を引き出せればいいかな、て気もしてきた。
その中で、力を抜きながら最高効率を追求する感覚も、より高まっている。
 
つまり、関心はより、過程へと移り変わっている。それら全てひっくるめた結果として、順位もついてくればいい。順位とかの結果は相手との関係により決まるもの、駄目レースで結果だけいいってこともあるしね。
 
年代別の表彰台に乗れればハッピー、という目標設定ならば、そんな価値観のもとで、純粋にトライアスロンを楽しめるんだと思う。
 
ただ、年代ランキングを取る、と目標設定すると、それだけではたりない。
カテゴリを超えた総合の順位を争えるうちに、争いたい気持ちもあるし。その力は、もしかして去年がピークだったかもしれないし、今年が最後かもしれないし。
 
といいながら今日は生活の堕落と調査&資料作成能力の劣悪ぶりを発揮して一日Macに張り付き、一切泳ぎも走りもできなかった。。
そんなこともみんなひっくるめて、良いシーズンになるといいな。

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『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』

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