NHK アスリートの魂「折れない心を トライアスロン 佐藤優香」 が先日放送された。
番組テーマは「折れない心」。多くの日本人が耐久スポーツ選手に対して期待するものだ。そんなストーリーラインをまず作り、それに沿って素材を貼り合わせている。そんな印象を受けた。
それだけなら、まあ構わない。しかし今回のは、実際の競技の中、重大な危険を招きうるものを含むと思う。以下指摘させて頂く。
<Bikeコーナリング克服、という物語>
佐藤選手は2014年10月のエドモントン大会で、バイクのコーナーで落車し、表皮組織(=皮の裏側の肉)が剥がれて白い腱か筋肉かが露出する酷い怪我を負った。僕も似た怪我を3年前のバイクレースで何かの金属板を相手に起こして救急車乗ったけど、あれはかなり痛い上に、気持ち的にショックがでかい。
そのトラウマの克服が、「折れない心」の象徴的な物語として描かれている。その流れは、「物語の作り方マニュアル」の基本に忠実なものといえる。まず番組の始めに、主人公のキャラクターが好人物であることを描き、視聴者が好感を寄せる、という前提を作った上で、
- 挫折 〜かつてコーナーでのツバ競り合いで転倒し、以来、苦手意識に苦しむ
- 努力 〜そこで長時間の苦しい特訓に耐え
- 戦い 〜9月のシカゴ大会では、外国人選手に声を荒げられながらも、コーナーで攻め続け
- 勝利 〜井出選手よりもブレーキを遅らせてコーナーに入り、抜いて前に出た (ここでお馴染みテーマソングちゃららーーん♪)
と、少年ジャンプかプロジェクトX的に完結する。
<3.集団内でコーナーを攻めてはいけない>
この最大の問題は3。これは成功例や美談というより、失敗例に近いと思う。しかも初歩的かつ義務的なレベルでの。自転車競技の経験がある方にはわかるだろう。
シカゴのような大集団では、「集団の先頭付近」の数人にとっては、コーナーで攻めることが有効な戦術・戦技となる。なぜなら、先頭にはそれが出来るスペースがある上に、後ろの大集団では、「コーナーを攻めることが許されていない」から、有効な差をつけることが出来るためだ。すぐに追いつかれる差だが、追いつく側に急アクセルを強いて、ダメージを蓄積できる。
この時、集団の中〜後方では、 「できない」でのはなく、「できるけど危険だからやらない」だけ。だから、攻めたい選手は先頭に出る。さもなくば、集団と同じペースを維持する。
自転車を使うレースでは、こうした暗黙のルールが幾つかある。そこが怪しい選手には、その場で「おい!あんた!」とベテラン選手から大声で熱いご指導を頂くことになる。明らかに繰り返すと、「てめー下がってろ!」級に昇格するだろう。
ただトライアスロン大会では、そのルールを知らない人たちが大挙して入っていて、かつ、誰にも指摘を受けずに走り続けてしまうことも多い。(で、たまに指摘する人がいると、暴言とか批判されたりしている!現実にFacebook上で見た話です)
番組のあの場面について言えば、佐藤選手個人にとっての意味はある。苦手克服できたかを実戦で確かめておくのは、必要なステップだ。ただし、他の選手に迷惑をかけない=気付かれない範囲内でやるべきだ。そこを指摘されたということは、その失敗を意味する。
つまり、佐藤選手にとってのコーナリングは依然として課題であり、引き続き練習していけばいい。課題のない選手はいないし、チャレンジは常に必要。スポーツとはそうゆうものだ。
〜信頼の問題〜
ここからは、一般論として書く。
そこには、選手にとってもリスクが残る。「信頼を失う」ということだ。
その帰結を、自転車レースに詳しい方はよく知っているだろう。欧米での(新城・別府選手を除く)日本人選手の扱いを。「ふぁっきnジャパニーズ!」と怒鳴られながら体当たりされ倒される、なんてこともありうる。
ArashiroやBeppuは、高卒後すぐに海外で活動することで、そんな文化を肌感覚で吸収した上で、その中で勝ち上がってきたので、「弱い日本人」枠には入っていない。欧州シマノでアシストとして集団を引っ張りまくった土井雪広選手も「日本人ということで不愉快な思いをしたことはない」と言う。そこは実力で決まる世界だろう。
海外トライアスリート達も、その同じ文化の中で育っている。そのつもりで見ると、コーナーで外側にいるジョーゲンセン(金色の「1」シールを腕に貼った細くて長くて白い選手)は、佐藤選手を避けて大きく回っているようにも見えるけど、それは気にし過ぎかな? だとしても、バイク集団での位置取りは大きく不利になるだろう。
大集団の中でも、ジョーゲンセンは出ようとすればスペースを空けてもらえるが、悪いイメージがついた選手はブロックされ、不利な位置にしか付けない。
集団では、前の10人くらいが最も落車リスクなどの安全性が高く、またコーナー立ち上がりのストレスも低い。動きの無いうちは後ろで構わないが、レースが動き始めた時に、後方にいること自体がリスクとなる。またバイクゴール手前では、トランジションは混雑することもあり、ランスタートで軽く10秒以上の差がつけられる。
〜語学力の問題〜
あと1つ付け加えると、 こうした場面では、英会話力が大きな差となりうると思う。
英語が十分に話せると、レース中に怒られた時に、その場でコミュニケーションが取れるだろうから、信頼低下はそもそも起こらない。またレース後に話しかけて、「あの時ああいったのは、詳しく教えて」と会話できれば、信頼回復できるだろう。
しかし、NHKのナレーションでは、「外国人に攻撃されたが、跳ね返した」的なニュアンス。方向がまるで逆なんだよ。この描き方は、ちょっと悲しいくらいだ。
<4.戦術としての重要度>
番組で描かれた点に戻る。上記4.の問題とは、その位置で抜いても大差無い、ということ。コーナーを抜けた時点で3m前に出てても、どうせ集団内に居るのなら無駄。むしろ、より力を使わずにやり過ごすことで、ランを伸ばすことができる。
それでも、個々の選手にとっては、実戦経験を積む意味で攻めてみたい場合はあるだろう。問題は、こうした戦術的価値のない細かな技を、重要な戦略として扱ってしまう番組の描き方は、強引だと思う。
<1.コーナリング技術>
そもそもの物語の発端(?)である去年のバイク落車についても解説しておく。
番組ナレーションの「ツバ競り合い」とは勇ましいけれど(NHKの主な客層である高齢者に合わせたのかな)、単にレースの基本ができなかっただけ。コーナーで前車真後ろに付けての「ハスり」は、位置取りの基本的ミスだ。
重要な基本なので説明しておくと、
- 速度一定の直線なら、前車の後輪に、自分の前輪を出来る限り寄せるのは基本技術。近いほど力をセーブできる
- ただし、絶対に接触させてはいけない。方向が固定され体重も乗った後輪に、動きやすくて軽い前輪が、お互いに高速回転しながら接触したら、後ろは一瞬で転ぶ(これがハスり落車、佐藤選手のケース)
- 直線であれば、お互いの速度が一定である限り、問題はないはず
- コーナーでは、減速と方向転換があるため、接触のリスクが高い。そこで少し位置をずらし、前がブレーキをかけても、自分の前輪が接触しないようにする
ドラフティング禁止のレースでも、Uターンなどで起こる可能性があるので注意しよう。この基本を破ればたとえサガンでも転ぶだろう。サガンなら触らせないだけだ。
<2.対策>
このことに限れば、自転車レース、特にエリート・トライアスロンのバイクと似ているクリテリウム競技での経験が、直接の対策となるだろう。ベルギーやオランダで生活する友人によると、彼ら、毎週末そこらへんの公道をつかって自転車レースが普通に行われている。トライアスリートも、子供の頃からそうゆうのに出てたり、あるいは、そうゆう出身者と一緒に揉まれている。
日本には、その環境がない。本当は、日本選手権に出るレベルの選手は、オフに実業団クリテリウムレースの上位争いくらいしてくれると良いのだけど。
このことと、佐藤選手がコーナリング練習をしているのは別の話で、コーナー単体での練習は当然必要なのでやるわけだ。ただしそれは番組で用意したストーリーラインの上ではない、ということ。
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このブログの読者は、自転車を競技で使う方が多いはず。これらのことはぜひ見抜いて欲しいと思う。とりわけ、知識・経験ともに不足しがちな日本のトライアスリートには。
<ランの失速の原因>
こうしたBike実戦技術の不足は、筋力を非効率に稼働させるため、Runの失速に繋がる。これはトライアスロンの超基本、バイクパートはランパートの一部でもある。けして心が弱いからではないし、持久力が足らないこととイコールでもない。
番組では、佐藤選手が「スイムとバイクが強い」と順位のグラフで紹介されていた。しかしグラフは時に真実をごまかす道具として有効となる。
事実は、「スイム得意だがバイク苦手な選手は、バイクではなく、ランの順位を落とす」のだ。スイムが速ければ’(集団走の)バイクの通過順位も自ずと上がる。上位集団はバイク単体のスピードも速いことが多い。順位が上であることは、得意を意味しない。
本当にバイクが強いかを知るには、バイク単独のレースとか、1時間タイムトライアルとかが必要だろう。
僕がまじかに観戦したエリート男子では、同じバイク集団を走っていた日本人選手は、ランでははなから勝負に乗せてもらえていなかった。上位争いの選手は、走り方が全く違う。目に見えない勝負が、同じバイク集団の中で繰り広げられているのだと思う。こちら過去記事ご参照→ シカゴ大会BS放映みどころ〜 トライアスロンRun10km28分台!その技術を解説しよう
<その他の注意点>
- 1日8時間練習は、週に1日とか、特別な強化合宿とか、ふつう限定的なものです (番組の練習風景は合宿中)
- 低酸素ベッドも、日常使用はしてないと思う。製品はたぶん "Higher Peak" 3,149ドルで買えます→ http://www.higherpeak.com/
- クロールのストレートアームは、そうすることで「陣地が空く場合もある」という程度。海用の泳ぎは別にあるので、真に受けないようにね(なお僕はストレートぽいです)
- ストレートアームは、同じ技を繰り出した同士では、より重くパワーのあるほうが勝ちます。スタン・ハンセンのウエスタンラリアットのようなもんだ
- 脂肪分を控えた食事は、「ある日の晩ごはん」だからかな。少なくとも普通の耐久アスリートの、特に朝昼には、良質な脂肪は逆に必要なので、まんまマネしないようにね
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<スポーツ・ドキュメンタリーについて>
僕はNHK大好きなのだけど、彼ら、わかりやすいストーリーへの強引な誘導を、一見シリアスなドキュメント番組でもやってくることがある。2015年5月に書いたブログのも一例→ 「アスリートの魂・萩野公介選手」の解説の欠陥と、より正しい理解 で、かつては、フェルプスの泳ぎの比較対象として「引退した選手をいきなり撮影」ということもしていたらしい。そら巧く見えるわ。
NHKがそうするのは、視聴者の大半が、「オリンピックのメダル」には興味があっても、「水泳やトライアスロンそのもの」にたいした興味はないからだろう。
そんな中で、「平均的な視聴者の頭の中にもともと存在しているストーリー」に沿って、取材した素材を編集する。NHKの取材力は見事なもの。実際、ブログにも書いた取材当日の仕事ぶりには感心した。だから、組み立てる材料、つまり説得力は十分だ。ただしその編集は、時に、行き過ぎる。
以上、全体に、番組に対して批判的に書いてきたけど、これは結局、多数派の日本人の意識の問題だとも思う。スポーツにドラマを投影しないと気がすまないという。
NHKのスタッフともなるとみな優秀で、こうした客観的事実を理解する力はあるはず。その上で、「どうすれば伝わるか」と考えた結果、こうなっているんだろう。
ただ、スポーツ・ドキュメンタリーというものは、別に結論というか、物語の完結がなくても、「ただ苦しんでいる途中です」と実態をただ正確に描くだけでも、意味はあると思う。それで視聴者がついてくるかどうかは、また別の問題だけれど。
選手やコーチは、いろいろな課題を抱えながら、いろいろな取り組みを試し、その多くは綺麗な物語として語れるようなものではない。ただ、視聴者はそのままには理解しきれないし、また満足もしない。その制約の中でも、より真実に迫ろうとするTVであって欲しいと願う。
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それでも、「多少は歪んでいたとしても、伝えられないよりは、遥かにマシ」だから、全体として番組自体は評価したい。
その上で僕は、僕がより正しいと考える情報を、こうして届けてゆく。こうした積み重ねが、最終的に、日本のスポーツ理解力の向上へと繋がるだろう。
真に優れたスポーツドキュメントとは、視聴者の頭の中にあるストーリーに沿ったものを届けることではなくて、知らなかった新しい世界を見せる驚きにあると思う。
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追記:10/24韓国トンヨンでのワールドカップ最終戦で佐藤選手みごと優勝!
ただ、リオに向けて必要な情報なので書いておくと、年間ランキング30位以内の海外トップ選手は出場していないと思う。トップ選手が最後に集ったのが、9月のシカゴ。だからこその「グランドファイナル」であり、そこで上位に入ることが必要だった。シカゴで年間ランキング確定させた選手は既にオフに入り、リオに備えている。
こちら公式記録から、選手名をクリックすると、ランキングや戦績など選手情報を確認できる。主要メディアの報道は、残念ながら、少なくともトライアスロンに限っては、真に受けてはいけないということが判るだろう。
信頼できる情報源を持とう。
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自転車レースを知るには「エスケープ」佐藤喬(2015)を。傑作。
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