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2018年4月 8日 (日)

よくある質問「八田さん今トライアスロンやらないんですか?」

4月第1週 「粉飴」さん 総会にお招きいただいた。100人近くいて半分以上が市民トライアスリート? こんな場では

「はじめまして ※リアル世界では」

的なご挨拶をFacebook友達さん達と次々交わすことになる。一度も会ってなくても既に友達な幻覚もたされてるのはザッカーバーグ氏の魔術か。その流れで頻出する1つが

「今 (or もう) トライアスロンやらないんですか?」

的なご質問だ。直接の回答は、とりあえず今年はやらないですねー、となるのだけど、ちょっと説明してみよう。

まず、僕は自分のことを「トライアスリートという存在」だとは、そんなには、思っていない。まして「速いトライアスリート」だとは思っていない。ゆえに「速くあり続ける」という願望はない。

ただ、「速くなってみたい」という願望を持ち、そして実行してみたという経験があるというだけ。37歳ごろから5年くらいの期間のことだ。それは人間全体(存在・実存)というよりは1つの経験というレベルでの話。

//// 第1のゲーム ////

この時おもしろかったのは、運動に苦手意識のあった僕がアスリートとして急上昇してしまうジェットコースター急発進感。本の2章前半に書いた通りだ。

この「ゲームの設定」は、30後半の身体、という放っておくと性能低下してゆくマシンを使うこと。スイッチを入れてから3年、予想を激しく越えた成果にノッていって、41歳を越えた2013シーズンに、僕の最高性能に近いところまできたかな、と思った。

同時に、本の元になった修士論文を書くという異常事態wにより、トライアスリートである、ということを表現する新目標が出現。これは「トライアスリートとしてのハッタリくんというキャラクター」を「現実の八田益之」が他人として観察し操縦する、すなわち客観視することになり 、その適度な冷静さは安定した競技成績も呼び寄せたかなと思う。

こうして初期のゲームをクリア。その感覚は本の最終章あたりが近い(けど書ききってもいないかな)

//// 第2ゲーム ////

次のゲームは短くて、翌2014年の1シーズンだけかも。40前半の身体でパフォーマンスを維持するゲーム。それまでのゲームほどには、、と感じはじめていた。ここまで続いたんだから、というモッタイナイ感というか義務感的なものもあったかも。

とはいえこれはこれで、JTU4連覇目(=翌年シカゴ派遣)、伊良湖総合優勝(=地域誌への初の有料原稿執筆)と、ここにしかない収穫もあった。

//// 第3ゲーム ////

そして2015〜2016とグライダーを降下させる。2015年5月末の横浜大会後には 「トライアスロン開始5周年、その変化について」 と題したブログでゲーム変更をほぼ宣言してたり。

この降りる感覚はそれはそれで楽しくて、なぜなら、上昇したからこそ下降もできるのだから。笑

同時に始まったのが、表現、執筆という活動。前のゲームがあって、始めて突入できた新世界。このための精神的エネルギーは、レースで最高を目指すのと、僕にとって両立しない。(たとえば為末大さんの表現活動は、世界トップを争った選手としてのピークを終えた後に本格化している)

//// 本題 ////

と、ここまでが前置きです。長! つまり、見てる景色、願望、舞台であり道具である身体、、、いろいろ違うということ。

すると、どうなるだろう? 僕にはわからん笑

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1つ確かなのは、37歳ごろに「速くなりたい」という願望を実行してみた4−5年くらいの僕の経験を、見ず知らずの多くの人たちがおもしろがっていただいているの、嬉しい。

この年度末、出身の中学&高校に自著を直接寄贈。中高生には難しいだろうけど、2章からなら、スポーツに興味あって読解力あれば、それなりに読めるだろうとも思う。

上写真の岡崎高校の職員室は、質実剛健の美名のもと、20世紀な地味さそのまんま。

幸田中学では、当時数学を教わった伊藤先生が校長先生として定年最後の年。在籍最終週にまにあった!

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「難しい本だよね笑、まず先生方に読んでもらおう。」と伊藤校長。いかにも難しい自覚はありますが、、部活指導などにお役立ていただければ嬉しいです。

//// 結論 ////

とはいえ幾ら表現がおもしろかろうと、レースで最高の成果を目指し、実現するということにしかない興奮はあって、それを忘れることはない。

なにしろ僕はトライアスリートという存在なので ←オイ

それを再現しようとしたとして、37歳からのジェットコースターと同じものにはならない。KONA'13でのパフォーマンスは、仮に僕が20代〜30前半ころにトライアスロンしてたとしても、それ含めた生涯ベストに近いものになったことだろう。でも今からそれは無理。かわりに、当時のジェットコースターとはまた別の何かになるだろう。

その時々に楽しめるものを楽しめればいい。

・・・

「粉飴」は吸収速度が運動時に有利な「マルトデキストリン」を主体にしたエネルギー補給食。発売元のH+Bライフサイエンス社は、食品化学の名門、林原をベースとした医療用製品の会社で、品質・信頼性は最高レベルだと思う。コスパが圧倒的で、トレーニングから気楽に使えて、レースシミュレーションもしやすい←ココ大事

本はアマゾン には在庫ないこと多いので、 私の直送ショップ ←もご検討ください。

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『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』

  • 初著作 2017年9月発売

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