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2017年11月の4件の記事

2017年11月16日 (木)

光学式=手首計測心拍計の効果と限界

当ブログ2017年9月の「Apple Watch3の発表、そしてスポーツ時計の3条件について」 では、アスリートに必要なスポーツ時計の3条件として
  1. GPS最高精度での連続稼動時間
  2. 胸着用の心拍ストラップ 
  3. 数個の重要指標だけを直感的に見られる操作性
を挙げた。
 
一方で、手首だけで計測できる光学式心拍(HR)計は、2015年4月のApple Watch登場以来いっぱい出てる。トライアスリートにはGarmin935など人気だ。その性能と限界について理解した上でのことなら問題ないのだが、実態は、必ずしもそうではないようだ。
 
まず結論を書く。
 
光学式HR計で、オススメできること:
  • 初心者の心拍入門機
  • 日常生活での計測(起床時心拍など)
  • リカバリー・つなぎ・LSD、など緩め練習専用(まじめ練習は胸ストラップ使用)
  • SwimとRunはタイム基準、Bikeはパワー基準で、HRは参考として緩く見るだけ
無理なこと:
  • 競技能力を(HR基準で)上げること
できることできないことをわかった上で使い分ければ良いわけで、買うなと言ってるわけではないです念のため。
 
 
<手首だけでOKな場合>
オススメできるのは、まとめていえば、不正確でも問題ない場面だ。
 
毎分HR100でも120でも、運動してるという点では共通するわけで、これくらいの精度(不精度?)で把握できれば構わないシーンだということ。
またこのレベルでなら、計測ミス&不能部分があっても、コンピュータ側で補正しやすい。
逆にいえば、補正によって正確っぽく見せている。
 
これは設計上の限界で、光が少しでも入ると機能しないけど、現行のリストバンド形状でそれは無理だから。特に動きが激しくなる屋外での高負荷トレーニングでは。
LSDのような低負荷一定な場合、光の侵入が少なめだし、光が入って測定ミスが起きても、コンピュータ側で補正すれば大差ない。
 
実際、自転車の室内ローラー錬限定なら、比較的正確に出るという実験結果がある(文末参照)。
この性質がもっともハマるのは、起床時心拍とか、高負荷トレーニング直後のリカバリー度合いとか、生活ログをとりたい場合だ。Apple Watchはまさにここがターゲット。
 
 
<胸ストラップ必要な場合>
逆に、動きが大きくなり、HR値も変動してゆくと、光は入るし補正も効かない。
ここで重要なのは、心拍域が上がるほど、数%差が意味を持ってくるということ。165と175とは、かなり違うよね。ここを間違われたら、トレーニングの指針とはできない。
 
 
<メーカーさ〜ん>
光学式だけでトレーニングを完結させるには、少なくとも今の技術では、手首に圧着できるリストバンドを新開発する必要がある。それはまるでスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアート用サポーターみたいなゴツいのを手首に巻かせるデザインになることだろう。
Appleは、ターゲットがカジュアルユーザだし、デザイン方針としてもそんなもの絶対出さないだろう。
スポーツ専用のGPS(=Garmin, POLAR, SUUNTO)各社も研究は進めているとは思うけど、それで実際出てるのは、普通の時計のデザインの域を出ない。(Appleへの意識が強すぎるような気がしないでもない)
POLARから9月に出た腕装着の光学式バンド「OH1」 はその発想によるけど、一体型でないなら(しかも充電まめに必要なのは)メリットが激減する気もする。
 
問題は、スポーツ専用メーカーのマーケティング・メッセージだ。これら限界、使い分けが明確であれば、市場の裾野をひろげる良い製品だと思うのだけど、向かないケースにまで、過剰な期待を持たせるような情報が一部で見られるような気がしないでもない。さすがに悪意はなくとも、現実に情報が行き渡っていない状況はある。Appleに対抗したい経営的事情は理解はできるのだけど、その気持ちが、ユーザ向け情報の正確性を鈍らせる結果となってしまってはいけません。改善すすむとよいなと思う。
 
 
<オススメ>
単に、運動量を増やして痩せたい、とかの場合には、Apple Watch3でまずは十分でしょ。もしくは同様の機能の手首計測タイプ。
 
速くなることが目的で、そのトレーニング基準に心拍を使う場合には、胸の計測ストラップは必須だ。ランでは、平坦ロードやトラックだけで練習する場合、自転車でも室内ローラー中心なら、タイムと心拍の関係が安定するのでなくてもまあ良いだろう。トレイルとか外部環境の変動が大きいほど、心拍は正確に把握するに越したことはない。
 
胸ベルトの快適さ(or不快さ?)は、最新の高級製品ではかなり改善されてる。SUUNTOだと2014Ambit2(デュアルベルト)から2017Spartan(スマートセンサー&スマートベルト)
に変えたら、劇的にストレスなくなった。素材の柔らかさも最高級だけど、大きいのは装着がボタンからフックにかわったことで、これ意外とすごく良い。他社も同様の改善あるかなと思う。
 
それでもスレるなら、ワセリンとか塗って保護するしかないだろう。
どうにも厳しいのは、冬に水で濡らしてから胸に巻くこと。(え温水つかえ?部屋温めろ?
 
 
<海外情報>
これら限界は、海外では 常 識 となってると思うけど、言葉の壁がある日本では情報輸入にタイムラグがあって、過剰な期待してたり、実験に無駄な時間を費やしたりってことがあるかなと思う。実験は既にガイジンさんたちが十分やってくれてるのでGoogle翻訳かけて読んでみよう。
 
<指標について>
なお、先の3条件の3つめ
    • 数個の重要指標だけを直感的に見られる操作性

    とは、僕の個人的な考え方として、ランの場合

    • Vo2Max(の推計値)
    • 接地時間(の推計値)
    • ストライドの幅
    • ストライドの垂直移動(の推計値)
    などなどの指標には意味がないと思っている。
    意味がないとは、それを管理しても(僕の場合には)速くはならないということ。
     
    ここでの判断基準は 「原因」 → 「結果」 の枠組みだ。もしくは、「INPUT → OUTPUT」の流れ。
     
    原因側には、ランだと、ピッチやHR。バイクならケイデンスも。
    接地時間やストライドは、動作の結果。そこを操作しても(=原因として扱っても)速くはならない、と僕は考えている。むしろ、それら指標に振り回される弊害を見たりもする。まあ僕の考え方なので、効果あるのなら使ってくださいな。
     
    このあたりのスポーツ科学的な考え方は、書籍 『覚醒せよ、わが身体。トライアスリートのエスノグラフィー』 の2章で、そのベースの思想を説明してます。一読くださいな。図書館で借りればタダなので笑
     

    2017年11月12日 (日)

    初のラン大会は世田谷ハーフ、高岡寿成さんに4km並走しゴールスプリントに敗れるの記録

    ランニングと比較してみよう。走るとは、簡素さのなかに奥深さを見出してゆく、求心的、求道的な競技だと私の目には映る。それは人のもっとも基本的な、誰でも本能的にできる動作を、長時間継続するものだ。日々の練習では、仕事や家庭のバランスをとり、練習時間の確保さえできれば(それが大変なのだが)、その枠中でどのような練習をするのかについては、比較的容易に決められる。またそのレース会場はトラックや舗装路など工業的に整備されアクシデントを排した場であり、また目標タイム何時間だから目標ペース一㎞何分何秒、といった明確な目標設定がしやすく、環境要因に左右されずに自分自身を向き合うことができる。だからこそ、ランニングは多忙な現代人を捉えているように思われる。
    こうした競技形態の違いによって、トライアスロンでは複雑性・無限性が、ランニングでは簡素さ・有限性が、特徴となっているのではないだろうか。
     
    では、そんな市民アスリートたちが、その実践を通じて確かに得ているものとは、何か。・・・
     
     
    なんて天下に書き散らかした以上はランニング大会てものにも出ざるを得ない。安くて近い世田谷ハーフへ申込んでみたら当たってしまい、マジで出ざるをえなくなった。
     
    なんだけど、さあこれから練習を、という大会2月前に本ができあがり、宣伝販売に熱中してて(おかげで出版社の最速増刷記録を更新してレース優勝てかんじだったのだが)、走るのは日常生活でのジョグ程度、最高で1日5kmを平均5分台というくらい。あとクロスバイクを週2くらい1〜3時間とか乗ることもある。そこで、レースの目標は身体が壊れないこと、ランニング大会の雰囲気を知ること、と現実的に再設定、タイム度外視で迎えた。
    その要点をまとめると:
     
    感想: 世田谷ハーフは、ハワイ島コナの再現だ。
     
    結果: 高岡寿成さんに4km並走しゴールスプリントで敗北。
     
    成果: 覚醒した。
     
     
    ・・・ スタートまで・・・
     
    前夜に準備を始め、そういえば封筒きてたな、どこだっけ、と探しながら部屋を掃除し始めながら、無事見つかり(←アタリマエだ)、開封して詳細を確認(←前夜に開けるな)、鶏胸肉トマトカレーを特急で作り(皮むきが面倒でたまねぎとか抜き)、駒澤公園への道順を確認して、12時過ぎ無事に就寝できた。やれやれ。レース前の1日くらい睡眠時間短めでも問題はない。普段寝れている限りは。
     
    5時半過ぎ起床、いつもの珈琲でなくカフェインが柔らかな緑茶を飲み、2合の米と昨夜の残りカレーを食べる。ハーフで2合も米は要らんと思うが、美味しく食べられる限りは食べる。食べすぎて困ることはない胃腸なので。
    7時10分に家を出て、クロスバイクで6kmちょいの駒澤公園へ。ギアは超軽いのを高回転、心拍は120くらい、二箇所の軽い登りを使い150と140にまで上げてみる。この20分ちょっとの自転車を以てアップ完了とする。走るアップはレース開始後だ。
    人生初の市民ランニング大会、まわりを観察しながら、受付、ゼッケン付け(トライアスロン用のゼッケンベルト使ったが周りに誰も見なかった)、荷物預け。合間に動的ストレッチで身体をほぐす。
     
    これがレースだなあ、と思い出す。
    トライアスロンほど色々ややこしくはないけど、大人が真剣に取り組んでいるって点でレースはレース、同じものだ。
     
    スタートのトラックに移動。申込時点では超やる気があったので(←市民アスリートあるある)、速すぎる予想タイムを申告してしまい、スタートはBブロック。周りがみんな速そうであるのみならず、後方Cブロックのランナーも明らかに僕より速い。ブロックほぼ最後尾(その後ろには僕よりもっと遅そうな方)の大外に位置し、全身あちこちほぐしながらスタートを待つ。
     
     
    ・・・ スタート〜序盤 ・・・
     
    スイムと違って、ランニングのスタートは平和だ。激しく抜かれることもなく、淡々と進む。逆に、ランニングからトライアスロンに移った方はスイムの「お化け屋敷感」(覚醒〜p20)にびっくりするんだろうな。
    公園内ではゲストの大島めぐみ、川嶋伸次、と往年の著名ランナーとしばらく一緒に走る。いきなり楽しい。
    はじめ2kmウォーミングアップを兼ねて、ペース4:17-18/km, HR150台で抑える。Cブロックのランナーが次々抜いてゆくけど、実力相応、気にしない。KONAのバイク序盤みたいだ。
    246号の高架下に入り、下り基調へ。重たい僕は下りが得意。脚にとって無理のないペースを選ぶと、自ずと前に出てゆく。平坦に入ると位置は変わらず、また下り始めると前へと出てゆく。抜かれたランナーが(もしも)見ていたら、ペースの不安定なヤツだなあと思ったことだろう。ま実際そうなんだけど。
    3-5kmのSUUNTO表示ペースは3:46-46-33, ただしGPS軌跡には高架とビルの影響かやや蛇行があり、実際はもう少しだけ遅いとは思う。無理のないペース、といっても身体活動レベルは上がるので、HRは170前後へ。以降このペース感が残り16kmまで続くこととなる。
     
    世田谷の台地から多摩川沿いの低地へと降りる坂で、高架下を外れると、視界が開ける。
    思った。
    ここはKONAだ。
    見通しの良い幅広で緩やかに上下するこの高速道路的なものはハイウェイQUEEN-Kだ。(実態は国道246)
    てことは4km地点の表示は、残り17km=25km地点のナチュラルエナジー・ラボってことだ。
    ふたたび、あの場所へと、僕は戻ってきたんだ。
     
    5km通過20:23(正式計時、NetTimeはマイナス11秒)
     
    5km過ぎて、多摩川沿いの平坦へ。ここで「1:30ペース」と記されたゼッケンと風船を付けたペーサーさんに追いつく。スタートを抑え、ペースを上げたことで、フルマラソンのサブスリーぎりぎり、1km4:16ペースにまで戻ったということか。ここから4:16を保てばサブスリーペースでゴールできるんだ。ちょっと安心。タイム度外視とはいえ、できればこれくらいは、て数字もあるのでね。。
    数名のパックが10mおきくらいに続く位置関係、向かい風では後ろに回って体力セーブ。
     
    このペーサーさん、目印の金色の風船は帽子につけてるのだが、二度に渡り帽子が強風に飛ばされ、戻って拾って、ペーサーさん大変だ。。まあ走力的にこれくらい平気な雰囲気だったけど。
     
     
    ・・・ ウォークブレイクは胃腸に優しい ・・・
     
    喉の渇きを感じる。朝のカレーの塩分に対して、緑茶の量が少なかったか。
    6kmの第一給水ではスピードを緩めてコップ2つを確実に取り、エイドのテーブルが終わった後で道路端に寄せて、歩き、確実に飲んだら、また走り始める。「ウォークブレイク」だ。
    もともと筋肉の緊張をほぐすことを目的にした手法だが、今回気付いたのは、とても飲みやすいということ。喉や胃がリラックスした状態で水分を受け入れてくれる感覚だ。
    この目的だと、飲み終われば即走り出すので、歩く時間は短くて済む。歩き始めた時に横にいた相手との距離をチェックしてみれば、実際たいした差はつかず、少しだけリフレッシュさせた脚ですぐに無理なく追いつくことができる。
     
    ※「ウォークブレイク」については、僕の2016年2月ブログ
     
     
    など参照いただきたい。(どうやら僕のこの記事が、国内普及にいくらか貢献しているらしい)
    レースで実際どこまでできるかはコース状況によるが、今回のエイドでは、テーブル前での急減速はランナーの流れを妨げるので避けるべきだが、最後のテーブルを過ぎてから端に寄るなら、いくら歩いても流れには全く問題ない。
     
    ・・・ 中盤以降、もしくは本当のレースのはじまり ・・・
     
    7−8kmを過ぎて、いつもの練習コースの多摩川サイクリングロードの土手の、その下側の一般道へ。見上げる土手では、ほどなく先導自転車が登場し、青学など大学生を中心にした先頭集団が通過してゆく。これもKONAアイアンマン世界選手権みたいだ。
    9km過ぎ、砧浄水場で折り返し、今度はいつもの練習コースがそのままレースコースになる。ペースは1km4分ちょっと。4年前、本に書いた9月のラン練習はこんな感じだったかな。また戻ってきたのかな。
    残り12kmてことは、KONA30km地点のQUEEN-K復路、でも足が路面に吸い寄せられるかのように動かなかったあの時よりもはるかに楽だ。
    ただ、序盤下りをぶっ飛ばした影響で、太もも前側に疲労感が強くなってゆく。明日の筋肉痛は予想されるものの、まあゴールまで持たないほどじゃあない。少し慎重に、1km4:10前後までペースを落とす。
     
    10km通過、5kmラップ20:59
     
    11kmを過ぎ、残り10km、これは最後までいけるな、と1km4:00ちょいへ少しペースを上げる。いつもの二子玉川の公園内へ。第二給水では少し暑くなっていたので、コップを3つ取り、道路端で歩きながら、飲んだ残りを頭と首に少しかける。あいた差はほどなく埋まる。ウォークブレイクは楽だ。
    公園を抜け、楽天ビルの前に出て、こんどはバイクの定番コース多摩堤通りへ。本当になじみの場所が連続するコース設定だなあ。
    残り7kmとなり、本ではあの決め台詞が登場する場面だけど、なにしろ練習不足で無茶しちゃあいけません。本レースでは僕は覚醒しないのだ。腕振りだけ強化、脚筋の負担を抑えて、終盤のペースアップに(もしできたなら)備えるとする。
    15kmの第三給水でもウォークブレイク。スポーツドリンクも気合い入れの目的で少し飲んだ。
     
    15km通過、5kmラップ20:36
     
    多摩川を離れ、パラニ・ロード(p214-215)のような急な登り。負荷の高いランを一切していない今の僕の脚が耐えられるものではない。骨盤を大きく回転させ、モモの動きを最小限に抑える走法で、筋肉への負担感を上げないようにする。16km区間4:46までペースを落とし、少し抜かれ離されてゆくが、気にしない。
    登りきり、目黒通りへ入ると、緩い下り。さあ、ここからハッタリくんタイム。
     
    ペースを上げると、ゲストランナー高岡寿成さんが音もなくすっと抜いてゆく。ちょいとキツいが、できる限りついてみたい。
    無敵の日本記録を誇った彼がこの位置ってことは、練習してないんだろうけど、ランニング技術は身体に染み付いているはずだ。脚の運び、骨盤と背中の動き、観察しながら追う。淡々とスムーズに運ばれる脚は、力が明らかに入っていない。そのユニットを駆動するのは骨盤から上。この走りで、世界トップまであと少しまで迫ったんだなあと考えると興奮する。
     
    ヤバい、覚醒した!
     
    モモの酷使感は強まっているけど、そんなの問題ではない。モモが終われば全身を使え。未稼働の筋肉オール・イン体制に入る。心拍数は180前後にまで上がり、ペースは1km4分を切ってゆく。沿道からは「たかおかさーーん」という(主に同世代女性と思われる)声援。明らかに真剣でない相手とはいえw背中を追い続ける。力の差は明らかだし、彼に勝つ必要はないなあとは思ったのだけど、姿が見えることろで、できれば一緒にゴールできれば最高だ。がんばってみよう。
     
    そう、これだ、この感覚だ。
     
    駒沢通りに戻る。駒澤公園が見える。敷地内に入る。ああ終わる。ここはアリイドライブに違いない。応援のガイジンのかわりに銀杏並木の黄色い葉っぱが応援してくれている。高岡さんも目の前だ。
     
    20km地点は公園内。もう終わるようでなかなか終わらない。
     
    20km通過、5kmラップ21:06
     
    この区間は登りを抑えたことでタイムが膨らんでいる。
    高岡さんとちょっと並走し、僕が強い腕振りで大きめのストライドで走ってるのを見て、「ピッチ上げた方が安定して速く走れるよ」的なアドバイスいただいた。うれしー! ありがとうございます、と調子にのってハイピッチ化して加速し、加速し過ぎて、少しペース修正。でも、こんな限界域での微調整こそがレースのおもしろさ。これだ。この感覚だ。
     
    スタジアムへ。駒澤・日体・日大の応援団がいい。
    ゴールスプリントをかけてきた高岡さんにばびゅーんと突き放され、10mくらい後でゴール。その場面だけ切り取れば日本トップ選手にぎりぎり負けた感あってSNS映えする。
     
    FINISH 1:27:15 (1.1kmラップ4:11)

    NetTime:1:27:04

     
    総合順位:293位、40歳~59歳男子:32位、という順位は、アイアンマン世界選手権KONA2013とだいたい同じだ!
     
    結論:やっぱり世田谷ハーフは、KONAだった!
     
     
    ・・・ 使用用具 ・・・
     
    上は背中ポケットの付いた自転車用半袖ジャージ(タテトラ2014優勝賞品)、下はUNIQLO短パン、シューズBROOKSの厚くて柔らかいの、ソックスCEPハイソックス。防寒用にnewbalance長袖Tシャツを着てスタートし、暖まったら背中ポケットにしまう。
    移動時は上は長袖ウインドブレーカー(10年くらい使ってる!)、下は長ジャージを重ねて、預け荷物に入れた。
    これら、当日朝の温度感で適当に決めている。トライアスロンなら前日までにちゃんと考えておくのだが。
     
     
    ・・・ SUUNTOデータ ・・・
    タイム度外視のレースだけど一応: 
    20171112_141358
     
    レースとはいいものだ。
    マラソンちょっと練習してみようかなと思った。
     
    なおレース後、ジャージはくときにフクラハギが強烈に攣って困ったのと、自転車をどこに置いたのかわからなくなって広大な駒沢公園をウロウロした。迷子になったのは僕じゃなくて自転車のほうなので僕は悪くないです。

    2017年11月10日 (金)

    初の書評掲載は超メジャー 『中央公論』 !@@!

    「読んでいるだけで興奮必至だ。」

    (『中央公論』12月号より)

    と書く僕の方が興奮する、声に出して読みたい日本語。

    とかいって、原稿執筆段階から心拍数を上げながら書いてきた本だから、読み手にもその興奮の一部が伝播したとしても、まあおかしくもないんだけど、興奮するのは、載った先だ。

    読売新聞の論壇誌『中央公論』12月号書評掲載。

    クチコミ急拡大し発刊3週で重版出来、トライアスリートのあいだではバカウケ中の『 覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー 』、そろそろ書評にと思ってたら、いきなり来たのが超メジャー誌だとはね。
     
    5年にわたるこの出版プロジェクトの大きな目標は、その内容を、アスリートを越えて、日本のインテリ層に届けることにある。つまり、空から降ってきた幸運てわけでもなくて、狙ったシナリオに沿ってはいる。
    ただそれが、読売系メジャー論壇誌の隅っこに滑り込めたのは、シナリオの最上級なものがいきなり実現した形でもある。
    あくまでも最終目標は、届くこと。これをきっかけに、より広く、そうなるといいな。わーいわーい。
     
    日本全国たいていの書店にあるだろうから、中身は、お手にとって確認いただこう。そっとp197を開いて、そっと書棚に返しておけば許されるだろう。そのままレジにお運びいただいても構わない。
     
    「ブッククリップ」という1ページ4冊紹介する短いコーナーだけど、その紹介文は簡潔にして的確。それ以上を知りたいのなら、実物を読んでいただくのがいい。
     
    Img_2514
     
    同時に紹介されてるのは、大きく扱われる方で香港警察の2013-1967年を舞台にした中国の翻訳小説『13・67』、超ベストセラーの『ハーバード日本史教室』、5千円近いマニアな『数学はなぜ哲学の問題になるのか』、小さい方で、やはりベストセラーの 『パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学』池谷裕二、あと哲学者による風景論など。
     
     
    メジャーな中に、マニアックで新しいのが混ざってる構成。「清宮幸太郎選手のドラ1抽選で盛り上げるなかでこっそり育成選手枠で」的にのっかった『覚醒〜』です。まあ待遇とかは違っても笑、グラウンドに上がって、ゲームが始まれば、平等なんで。育ってみるとしよう!
     
    著者であり、出版社営業部であり、ネット書店業であり=「出版トライアスロン」を競う僕です。これまでネット依存な販売をしてきたこともあり、来週から書店営業に本格着手しよう。といって、自転車とスニーカーで都心部を走りながら手製ポップを手にダイビングを繰り返すだけなんだけど! (手製POPほしい書店さんいたらお届けします)
     
    覚醒せよ、日本の知識人よ。
     

    2017年11月 1日 (水)

    21世紀の教養としての「身体論」 〜無限な社会と有限な身体

    <本の読み方>
    二刷も好調な 『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』クチコミ経由と思われる動きが根強いようで、また読み終えても中古本で売りに出す方がほとんどいないのは嬉しい限り。いろんな読み方ができる本だけど、トレーニング本として読むなら、途中に挟まれてる社会学とか哲学とかささっと読み飛ばしてしまおう。
     
    まじめな方は、本はあたまから一字一句すべて理解しようとしがち。高校までの国語教育ではそんな読み方が指導される。文学作品など過程を楽しむならそれでもいい。
    ただ現実の世界は忙しいので、何かの目的のために、知り、考えるのが目的なら、それでは効率が悪い。パラパラめくりながら、目に飛び込んできたとこだけ読むくらいがちょうどいい。この本でも、後から気になった時に読み返すくらいでいいかな、という箇所は幾つかある。
     
    てわけで第一の結論: 気軽に読むなら、まず2章からパラめくりをしてくださいな。
     
    ・・・
    さて、ここから書くのは、そのややこしい社会学とか哲学とかの話だ。
    2017年の秋、『覚醒〜』が世に出て、朝日新聞の一面広告にも載る(10/27-28)一方で、
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    世間ではトラブルメーク国家やら衆議院選挙やらで騒がしい。ややこしい状況を読み解くにはスマホとかで無料で読める軽い文では限界あって、月刊誌くらいの重さとタイミングの考察はちょうどいい。てわけで読売新聞 『中央公論』11月号 など読んでみた。 安倍首相の権力の強さを理解するのに、竹中治堅(はるたか)先生の論考は一貫されている。とかいって当ブログで政治とかどーでもよくて、、
    注目するのはサブ特集「21世紀の勉強論 なぜいま教養ブームなのか?」での対談、「レスラー哲学者と注目の認知科学者が教える 身体から考える本物の「学び方」 入不二基義×今井むつみ」。
     
     
    <大人スポーツは、なぜ流行る?
    昨今ランニングなど大人スポーツの流行は、世の中のIT化の反動か?と編集部が問う。
    認知科学者、今井むつみ氏は、周りの仲間との関係や、自分自身の達成感が動機で、社会の変化とは関係ないとの立場。これは僕の『覚醒〜』の1章前半の考えに近い。
    レスラー哲学者、入不二基義氏は、共に不老不死への願望だとみる。さすが哲学教授ユニークだ。不死=完全性の追求、と翻訳すると、なるほどと思う。そのうえで、IT化する社会での「情報過多」に対して、「身体性」がブレーキをかける役割を果たしているとの意見。
     
    このあたり、僕の『覚醒〜』では、無限か有限か、という枠組みで説明している。
     
    ITに代表される現代社会とは、機能性、合理性を無限に追求してゆく世界だ。これを「無限性の世界」と呼ぼう。
    たとえば、年収1500万のエリート会社員を目指して、実現したとする。その達成の瞬間は、そりゃまあ嬉しいだろう。ただ慣れてくると、その上には数千万とかのスター役員がいて、満たされない自分てものに気づいてしまう。さらにがんばって、達成したとしても、その上には成功した起業家がいて、その世界に入ったとしてさらに上がいて、、、とキリがない。「インスタ映え」の果ての「偽装キラキラ女子」とかSNS上の「承認」を巡る努力過剰もそう。
    欲望が暴走し、無限ループする。それが「後期近代」といわれる現代社会の、1つの側面だ。
     
    一方で、スポーツに代表される身体の世界とは、本質的に有限なもの。ボルト選手でも100m9秒4では走れなかったし、数年のピークを過ぎれば引退する。速さを目指す欲望が暴走しかけるAddictへの誘惑はあっても、根本的に自分の身体という有限性の枠内でしかできないものだ。だからこそ、「自分自身を世の中につなぎとめるなにか」となりうる。
    それが、1章の後半に書いた話だ。
     
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    (僕の講義資料より)
     
    逆に、自分の身体という有限性の枠内であれば、そして競技ルールの枠内であれば、いくらでも暴走できる。それが社会の閉塞性に対する反動であり、それによって自分てもののバランスを保つ機能。冒頭の中央公論編集部の問いは、この面ではその通りだ。
     
    「合理性」が無限に追求される社会で、学びとは、「それ知ってなんの役に立つのか?」とばかりを考えがちで、それはそれで大事なことだけど、それだけでは、おもしろくない。だからスポーツで暴走したい。この点も入不二先生に同意。僕が『覚醒〜』冒頭で、一問一答のような発想をここではやめようね、と書いたのも、その考えによる。
     
    今日の結論その2: 大人が真剣に取り組むスポーツとは、「承認」の対象を「自分の身体」という有限なものへと設定することで、「無限性」が高く流動的も高まってゆく世の中に対して、自分をつなぎとめ、流されない作用を果たしている。(八田仮説)
     
     
    身体論>
    正しいかどうかは、まずは問題ではない。「身体論は21世紀の教養」ということを、まずは考えてみることに意味がある。社会の暴力的なまでの無限な進化は、還り着くよりどころとしての身体の重要性を高めてゆくのは間違いないと思うから。
    『覚醒〜』も、そこへのとっかかりとして位置づけてもらえると嬉しい。
     
    ちなみに、身体論=しんたいろん、と読みます。本も、かくせいせよわがしんたい、が本来の発音です。
     
    (←共著者田中先生の)

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    『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』

    • 初著作 2017年9月発売

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