21世紀の教養としての「身体論」 〜無限な社会と有限な身体
<本の読み方>
二刷も好調な 『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』 、クチコミ経由と思われる動きが根強いようで、また読み終えても中古本で売りに出す方がほとんどいないのは嬉しい限り。いろんな読み方ができる本だけど、トレーニング本として読むなら、途中に挟まれてる社会学とか哲学とかささっと読み飛ばしてしまおう。
まじめな方は、本はあたまから一字一句すべて理解しようとしがち。高校までの国語教育ではそんな読み方が指導される。文学作品など過程を楽しむならそれでもいい。
ただ現実の世界は忙しいので、何かの目的のために、知り、考えるのが目的なら、それでは効率が悪い。パラパラめくりながら、目に飛び込んできたとこだけ読むくらいがちょうどいい。この本でも、後から気になった時に読み返すくらいでいいかな、という箇所は幾つかある。
てわけで第一の結論: 気軽に読むなら、まず2章からパラめくりをしてくださいな。
・・・
さて、ここから書くのは、そのややこしい社会学とか哲学とかの話だ。
2017年の秋、『覚醒〜』が世に出て、朝日新聞の一面広告にも載る(10/27-28)一方で、
世間ではトラブルメーク国家やら衆議院選挙やらで騒がしい。ややこしい状況を読み解くにはスマホとかで無料で読める軽い文では限界あって、月刊誌くらいの重さとタイミングの考察はちょうどいい。てわけで読売新聞 『中央公論』11月号 など読んでみた。 安倍首相の権力の強さを理解するのに、竹中治堅(はるたか)先生の論考は一貫されている。とかいって当ブログで政治とかどーでもよくて、、
注目するのはサブ特集「21世紀の勉強論 なぜいま教養ブームなのか?」での対談、「レスラー哲学者と注目の認知科学者が教える 身体から考える本物の「学び方」 入不二基義×今井むつみ」。
<大人スポーツは、なぜ流行る?>
昨今ランニングなど大人スポーツの流行は、世の中のIT化の反動か?と編集部が問う。
認知科学者、今井むつみ氏は、周りの仲間との関係や、自分自身の達成感が動機で、社会の変化とは関係ないとの立場。これは僕の『覚醒〜』の1章前半の考えに近い。
レスラー哲学者、入不二基義氏は、共に不老不死への願望だとみる。さすが哲学教授ユニークだ。不死=完全性の追求、と翻訳すると、なるほどと思う。そのうえで、IT化する社会での「情報過多」に対して、「身体性」がブレーキをかける役割を果たしているとの意見。
このあたり、僕の『覚醒〜』では、無限か有限か、という枠組みで説明している。
ITに代表される現代社会とは、機能性、合理性を無限に追求してゆく世界だ。これを「無限性の世界」と呼ぼう。
たとえば、年収1500万のエリート会社員を目指して、実現したとする。その達成の瞬間は、そりゃまあ嬉しいだろう。ただ慣れてくると、その上には数千万とかのスター役員がいて、満たされない自分てものに気づいてしまう。さらにがんばって、達成したとしても、その上には成功した起業家がいて、その世界に入ったとしてさらに上がいて、、、とキリがない。「インスタ映え」の果ての「偽装キラキラ女子」とかSNS上の「承認」を巡る努力過剰もそう。
欲望が暴走し、無限ループする。それが「後期近代」といわれる現代社会の、1つの側面だ。
一方で、スポーツに代表される身体の世界とは、本質的に有限なもの。ボルト選手でも100m9秒4では走れなかったし、数年のピークを過ぎれば引退する。速さを目指す欲望が暴走しかけるAddictへの誘惑はあっても、根本的に自分の身体という有限性の枠内でしかできないものだ。だからこそ、「自分自身を世の中につなぎとめるなにか」となりうる。
それが、1章の後半に書いた話だ。
(僕の講義資料より)
逆に、自分の身体という有限性の枠内であれば、そして競技ルールの枠内であれば、いくらでも暴走できる。それが社会の閉塞性に対する反動であり、それによって自分てもののバランスを保つ機能。冒頭の中央公論編集部の問いは、この面ではその通りだ。
「合理性」が無限に追求される社会で、学びとは、「それ知ってなんの役に立つのか?」とばかりを考えがちで、それはそれで大事なことだけど、それだけでは、おもしろくない。だからスポーツで暴走したい。この点も入不二先生に同意。僕が『覚醒〜』冒頭で、一問一答のような発想をここではやめようね、と書いたのも、その考えによる。
今日の結論その2: 大人が真剣に取り組むスポーツとは、「承認」の対象を「自分の身体」という有限なものへと設定することで、「無限性」が高く流動的も高まってゆく世の中に対して、自分をつなぎとめ、流されない作用を果たしている。(八田仮説)
<身体論>
正しいかどうかは、まずは問題ではない。「身体論は21世紀の教養」ということを、まずは考えてみることに意味がある。社会の暴力的なまでの無限な進化は、還り着くよりどころとしての身体の重要性を高めてゆくのは間違いないと思うから。
『覚醒〜』も、そこへのとっかかりとして位置づけてもらえると嬉しい。
ちなみに、身体論=しんたいろん、と読みます。本も、かくせいせよわがしんたい、が本来の発音です。
(←共著者田中先生の)
« レビュー回答 「僕の幼少期からの3種目スキルレベル」 | トップページ | 初の書評掲載は超メジャー 『中央公論』 !@@! »
「『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』_」カテゴリの記事
- おしらせ: 新サイト開設 & ココログ更新終了します(2018.09.17)
- " 道端カレン「すべては小さなステップの先にしかない」 " 日経WOLインタビュー2の解説(2018.08.16)
- <仕事報告> 道端カレンさんインタビュー、日経ウーマンオンライン載りましたー(2018.08.12)
- 講演「市民トライアスリートの社会学&高い目標の実現法」 @名古屋トリニティーグループ(2018.04.01)
- 中日新聞&東京新聞 「トライアスロン元王者で競技を社会学で分析する八田益之さん(45)」 記事解説(2018.03.27)
この記事へのコメントは終了しました。




コメント