書評へのコメント: ルミオカン※第二章限定w "書評評"
↑ とルミオカンブログで紹介いただいた。第二章限定で。紹介箇所の選び方、さすが読みが的確ですわ。
少々、解説しとこう。(斜体部が同ブログからの引用)
驚いたのが、ずっと一人で練習しているイメージだった八田さんも実は集団に属していた期間があり、その期間こそが八田さんをのめり込ませる動機となったこと。
これ全くその通りで、当時の湘南ワタナベレーシングのおかげだ。その価値とは、速くなるための練習というよりも、レース会場にまで足を踏み入らせたこと。その経験は "Zero to One" なきっかけだったとさえいえる。
データなんて不要、感覚を磨けと唱えている(と、私は思っている)八田さんも、最初はデータを指標にしていたこと。
や、そこまでは言ってないつもりなんだけど、、ま受け手が認識した世界が受け手にとっての世界であるわけで、つまり僕はそんなキャラだってことだろう。。
僕は数値は一貫して大事に見てるんですが、その役割は滑走路であって、離陸した後は感覚、という位置づけ。離陸する感覚は僕は大事にしてて、本の別のとこで書いてます。
さらに補足すると、滑走路は長く取れるほど、離陸はスムーズだ。データ活用でいえば、データで済む範囲ならばデータで済ませとけばよく、その範囲内ではアタマを無駄に使わずに済む。アタマとは貴重な武器なので、使わずに済むのならば使わずに済ませたい。
さらにいえば、データが多すぎるとアタマがその処理に追われて、本当に考えるべきことを考えられなくなる。だから、同時に見れるのは多くて2つくらい=心拍と速度とか=かなと。
これら踏まえつつも、最近のデータの進化は、データへの依存を誘発している印象もある。気をつけようね、というのが僕の立場です。
最初にやっていることが、図書館での専門誌の一気読み
トレーニングバイブルのような一冊で完結している書籍では、その一貫性がゆえに、自分のアタマで考えなくなる。雑多で矛盾する情報が散在してるのを読み解いていくと、このギャップとはなんだ?と考え始めるので、その過程で理解が深まるのです。一見して論理不整合と思われるものの中には、たまに、より深い真理が潜んでいるのだ。
ただし読み解き切れた場合に限る、のだが、僕そーゆーの好きなんで。
基本的な動きを把握したらもう、「表彰台を基準にした」目標と練習ペースの設定をしている。
ここは本に書いた通り、事前準備的な要因が幾つかある。トレーニング開始時点で、あと必要なパズルのピースがそこだけだった、て感じ。1つだけ挙げれば、4月始め修善寺のバイクレース出場経験が大きい。
この時点でもう化け物なのだけど、「もともとの運動能力が、、、」と思うのは早い。そこに至っておかしくない内容が、その後の部分に惜しげもなく書き記されている。
情報、データ、自己の感覚、身体の反応、、、それら全てを客観的に判断、コントロールすることにより恐ろしいスピードで進化を遂げたのである。
いかにも、このことは、効いたと思う。
とはいえ、これは僕の特殊事例ではなくて、多くの市民トライアスリートが実践していることの、その特徴をより鮮明にした、象徴的な事例であるとも思う。もしもそうでなければエスノグラフィーとして成立しない。
その証拠に、僕のこういった手法を参考にしようと熱心に読んでくれる読者さんはたくさんいるわけだ。だから本も口コミだけで売れてるわけで。特殊事例なら、こうはいかないはずだ。
ここの内容は是非じっくり読んで頂きたいところなので細かい紹介は避けます。
てゆうか、手短に紹介するの難しいと思う。なぜなら、この箇所の文章は、これ以上削る余地がないくらいに磨ききったスーパー大吟醸だから。読むしかないでしょうね、もしも理解されたいのならば。
おまけ:本の在庫情報
« 『覚醒せよ。』社会学書としての5つの意味 〜9/29法政セッションちょっと報告 | トップページ | レビュー回答 「僕の幼少期からの3種目スキルレベル」 »
「『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』_」カテゴリの記事
- おしらせ: 新サイト開設 & ココログ更新終了します(2018.09.17)
- " 道端カレン「すべては小さなステップの先にしかない」 " 日経WOLインタビュー2の解説(2018.08.16)
- <仕事報告> 道端カレンさんインタビュー、日経ウーマンオンライン載りましたー(2018.08.12)
- 講演「市民トライアスリートの社会学&高い目標の実現法」 @名古屋トリニティーグループ(2018.04.01)
- 中日新聞&東京新聞 「トライアスロン元王者で競技を社会学で分析する八田益之さん(45)」 記事解説(2018.03.27)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント