2017年1月21日午後2時前、小林大哲(こばやし・ひろあき)選手が自転車で崖から転落し逝去された。ニュースのタイトルに目を疑い、記事に彼の名を見て、また疑った。本当に、彼なのか。でも何度見ても、そうでしかなかった。
彼のトライアスロンへのチャレンジは、ほんの2年に満たずに、未完に終わってしまった。あまりにも悲しい。それでも、その足あとが意味するものは、日本のスポーツ界すべてに知ってもらう価値あるものだと思う。
- 小林大哲選手とは -
JTU日本トライアスロン連合の2016年ランキングでは10位。より実力がストレートに表れる日本選手権では8位。ただ、その潜在能力はもっと高い。2015年にトライアスロンを始めたばかりで、1年8ヵ月ほどの短期間で成し遂げた成果だから。2020東京五輪時点ではトップに位置していた可能性も、そして世界と戦えていた可能性だって、十分あった。
1992年生まれ、千葉県出身。中学では水泳部で400m自由形が4:30−40秒くらいだそうで、競泳選手としては勝負できず、検見川高校で陸上長距離に転向。順天堂大に進み、箱根駅伝ではあと一歩でメンバー入りを逃す。駅伝部の合宿地に日本食研のトライアスロン部も来ており、つながりができた。4年になり、就職が決まっていなかった頃に新人募集のトライアウトがあると聞き、参加したら合格、未経験のままプロ・トライアスリートとなったのが2015年2月だという。
僕が彼に出会ったのは、その4ヶ月後の愛南トライアスロンのこと。表彰式会場への入場を待つ列の隣にいた、一目で鍛え上げられた様子の若者に声掛けしたら、日本食研の新人プロ選手だという。ベテランの平松幸紘選手をおさえて2位に入ったのだが、それが彼の初の51.5kmレースだと聞いて、びっくりした。
「すごい、すごすぎます、そんなことがあるんですか! 次の目標は?」と聞いてみた。
「3週後の酒田のU23選手権での優勝です。」と明確に答えていた。
「U23代表を掴みたいのです、実力的には勝てる大会ではないですが、チャンスはゼロではないはずなので」と。
いくらなんでも、まさかキャリア4ヵ月で、実力者ひしめくU23優勝なんて無理だろう。でも志の高さはすごいなあ、とその時は思ったように記憶している。態度、口ぶりは、謙虚すぎるくらい謙虚で、真面目さがにじみ出ている印象。それと大きな目標とのギャップに、少しびっくりした。
しかし3週後、本当に優勝する。知人のトライアスリートがその場に居合わせて、ゴールでの雄叫びを見ていたそう。その話を聞いて、大哲さんは本気で狙っていたんだと知った。
すごい才能が表れた、と思った。
そして同年9月、シカゴの世界選手権でご一緒することになった。当時のブログはこちら 「カテゴリー「'15- ITU世界選手権Chicago」 ご参照。さすがにU23世界選手権、バイクは実力者が揃う大きな第一集団から遠く離された4人だけの厳しい集団で消耗してしまうが。ランでは周回ごとにパフォーマンスが上がっているのがわかった。世界で戦えるラン。いつか世界大会でバイク第一集団から見たいと思った。
「ひろー!」と熱心に応援される年配の男女がいた。話しかけてみると、 小林選手のご両親だった。大舞台で喜んでいるというより、どこか、心配そうにも見えた。
追記1/24:この箇所をITUニュース "Triathlon family mourns passing of Japanese athlete Hiroaki Kobayahi" 22 Jan, 2017 にて紹介いただきました。引用:
“I met him (Kobayahi) for the first time at one triathlon event just four months after his triathlon trial test. At first glance, I could tell how hard he trained to build up his body and muscles. I was stunned by his performance when he finished second at his first 51.5 k race. To my question of what was his next goal, he clearly answered that he would like to win the U23 Championships in three weeks’ time.
He said, ‘I want to make a U23 national team. I know my ability won’t match the level of the Championships, but I believe the chances are not zero.’
I thought it would never happen as he had only four months of triathlon experience at the time. However, I remember I was impressed by his high spirit and the way he talked in a humble manner. His attitude was so humble and too modest, but, his honest and serious personality appeared through his words. To be honest, I was surprised with the gap between his aspiration and very reserved personality. But, in fact, three weeks later, he won the race.”
そう思わずにいられないような謙虚さ、真摯さを、少しでも世界の「トライアスロン・ファミリー」に知っていただければ。
- 事故について -
NHKニュース動画 を見ると、スピードの出やすい緩いカーブが続く下り途中に、突如あらわれる急カーブ。こうした山中では、雨や泥を流すために、崖側を下げる逆バンクが設定されていることも多い。下りながら「やばい逆だ」と気付いたときには遅かったりする。山だから砂も浮きやすい。整備された舗装路での浮き砂でのコーナリングは、軽量で細タイヤのロードバイクの弱点。
最大の問題は、ガードが腰の高さもないようなワイヤーだけであること。明らかに4輪車しか想定しておらず(眺めは良さそうだ)、2輪にとっては無いのに等しいとさえいえそうだ。自転車で接触すれば、即その上へ跳ね飛ばされてしまうから。しかもその先は高さ80mという崖。消防が駆けつけて50mのロープを下ろしたら足りず、ドクターヘリを要請したそうだ。
映像では看板を立てる金属製ぽいパイプの1つが完全に折れ曲がり、衝突の衝撃の強さを物語る(今回の事故とは限らないが、たとえば4輪での衝突なら下側がより激しく損傷しているはず)。結構な速さで激突し、その反動で軽く数mは水平に飛ばされたとしてもおかしくない。だとすれば、途中に引っかかることもなく、岩場の川原へ吹っ飛ばされてしまう。
つまり、普通なら、せいぜい鎖骨か肋骨かを折って済むようなミスが、致死率ほぼ100%になってしまう。これほど条件の悪い道は、日本には他にほとんどないのではないだろうか。最悪の箇所だ。
何度か現場を自転車で走ったことがある現地の方によると、
「自動車で走るぶんには何ともないカーブが、ロードバイクやTTバイクで走ると曲がりきれない下り道」
(完熟マンゴーの、トライアスロン奮闘記)
だそうだ。照葉大吊橋からの下りを下記Yahoo!ルートラボで検証 してみた。それらしき危険箇所は640mあたりに1つ。斜度25%と表示される急な下り(※地図の標高設定によるので正確ではない)からの、アウト側で崖に向かってゆく右カーブ。他に3つくらい似た箇所がある。(航空写真モードで拡大可能)
ほんの一瞬の油断が生じる場合もあれば、「この先のガードが怖い!」と見てしまった瞬間にハンドリングがそちらに向かおうとする本能もある。ブレーキングも直行しているうちは有効だが、曲がりながらでは逆に車体を不安定化させてしまう。全て、僕も何度か経験あること。こうしたリスク要因と不運とが重なることは、誰にもで起きうること。
※追記:新記事「小林大哲選手事故現場のネット検証、そして競技自転車の「下り練習」について 」にて詳細な事故状況の分析を掲載しました。(2017.1.27)
しかも、1/9から(事故2日後にあたる)23日までの宮崎シーガイアでのJTU強化合宿、3週間の疲労がピークに来そうな時期。あまりにも悪条件が揃いすぎてしまった。
僕だったら、ただでさえ下り時速40km制限をかけるような(異常なまでの)怖がりなので、こんな状況ならほぼフルブレーキ停止してから超徐行してそうな箇所。でも、8名で、距離を空けたとはいえ隊列組んで走る中で、それもやりずらい。ブレーキで後ろが乱れてしまうし、そもそも、走りながらその状況が見えるとは限らない。
- 彼が日本のスポーツ界に遺した(遺すべき)もの -
1つ言えることは、 小林大哲さんが、ほんの2年にも満たないあいだにトライアスロン界で達成されてきたことは、彼にしかできないものだったということ。
トライアスロンへ転向して、ほんの4−5ヵ月でU23で優勝してみせたという事実。そのデビュー年の日本選手権が19位、翌年には8位。わずかの間に着々と実力を上げていたという事実。今年の10月に、そして2018年、2019年に、どこまで上げれたことだろうかと思う。
この足あとは、これから、トライアスロンへ転向しようとする他種目のトップアスリート達に、そしてトライアスロンにかぎらず、すべての種目で転向を迷っているアスリート達に、たしかな重さを持って、残り続けるだろう。少なくとも、そうあるべきだ、と思う。
日本のスポーツ界では、1つの種目にこだわる文化が強い。種目というより「その組織」といったほうがいいかもしれない。これは再検討されるべき20世紀の遺産だと僕は思っている。スポーツに限らない話だから、根は深い。
欧米のトライアスリートが強いのはその逆で、日本だったら陸上長距離か競泳かに囲い込まれているような10代選手が、子供の頃から、競技自転車もやれば、遠泳大会にも出れば、クロスカントリーの大会にも出ている。結果として、トライアスロンが一番成績いい、という選手がオリンピックへとチャレンジしているのだと、僕は見ている。ランパート10kmを28分台で走る選手が続々と表れているのは、その結果だと思う。
日本でいえば、箱根駅伝に集中する才能の中には、中高から、たまにでも水泳自転車を併用していれば、それくらい出来る選手はいるだろうと思う。ここでは、「1つのことをコツコツと極める」という日本の職人的な美意識が(もちろんそのメリットは大きいのだが同時に)、世界レベルで戦うための制約にもなっている、ということ。
その壁を、現実に破ってみせて、ほんの2シーズンでここまで進んでみせた、という実績は、彼だからこそできた、オリジナルなものだ。
本当は、彼のチャレンジの真価はここからだったのだけど、それはもう、どうしようもないことだから。
ただ、トライアスロンに、スポーツ界全体に、これから活かされてゆく価値のある、チャレンジであると、僕は思う。
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あの日、お会いできてよかったです。大哲さんの達成に心からの敬意を捧げます。安らかにお眠りください。
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