« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年1月の2件の記事

2017年1月26日 (木)

小林大哲選手事故現場のネット検証、そして競技自転車の「下り練習」について

1/22に書いた追悼: プロトライアスリート小林大哲さん(享年24)が遺したもの 〜 mourning triathlete Hiroaki Kobayahiは、その最も伝えたかったエピソード部をITU(国際トライアスロン連合)から世界のトライアスリートへ紹介いただき、また哀しみの底にあるであろう関係の方々からもご丁寧なお礼などもいただいた。彼の生きた証の一端を少しでも知っていただくことに、幾らかは貢献できたようだ。

でも、もうあと3年もすれば、彼のことを、もっともっと多くの人達が知っていったことだろうに、とも思う。こんな小さなブログで説明しなくてもね。その将来が生命とともに消滅したという重すぎる事実を前に、それだけで済ませることは許されない。悲劇ほど冷静に分析されねばならない。

※お断わり、以下あくまでもネット情報等による簡易検証に留まるものです。その目的は、自転車の安全性を高めるための一般的な参考にしていただく点にあり、今回の特殊事情についての検証とは別のものです。
 
- 事故現場 -
 
端的に言って、難易度×危険度、それぞれに最悪な箇所だ。悪いことに、その凶悪さは素人目には見えづらいのだ。この2要素を掛け算すれば、こうした結果も、不思議なものではないようにすら思えてしまう。
 
まず場所について。こちら NHKニュース動画 に地元の方からの情報も加味して、事故現場はほぼ確定できた。Google地図ではここから 下りながら左カーブした先。そこまでの走行情報をルートラボ地図 「照葉大吊橋からの下り」 に再設定。標高も微調整した。下のピンク部分が直前100mほどの下り部分だ。
203346
峠の吊橋あたりから250m下り、右カーブすると、下の写真の通り、ほぼ直線が数百m続く。上の地図では赤線より上側(傾斜図では青いフラット部)。この突き当りに問題の複合カーブ。
見るからに走りやすそうで、脚のある選手なら時速5−60kmくらいには何の不安感もなく簡単に上がるだろう。低いワイヤーのガードのおかげで眺望は最高。4輪車での観光名所となることを目指して設計されていることがわかる。同時に、2輪車を一切想定していないことも。
195548
この直線の最後に下り。「斜度10%」表示の看板があるようだ(※上のネット地図では斜度14%と表示される区間)。NHKニュースの動画を見ると、実際かなりな急坂に見える。ただ下の写真では見通しの良さのせいもあって、よくわからないと思う。それは危険要素の1つとなる。
この坂が危険なのは、危険な複合コーナーに加速させながら突入させる点にある。
(なお、左カーブ部の谷側は白い垂直のコンクリート壁。木がかかって競り上がっているようにみえるが)
195828
緩い左カーブへ。しかも後半で傾斜がキツくなる。この下の赤ライン箇所までは、本能に任せ走ってれば70km/hくらいは不安を感じることなく入れてしまうだろう。
 
(※念のため追記: 自転車も速度制限を守るべきだが、しかし現実問題として、自転車は軽いので坂で急加速するし、その時にスピードメーター表示を見るのは危険。またブレーキし続けるのも過熱などリスクがある。下りでの速度調整は難しい。この問題への対応は予め徐行しすぎなくらい徐行しておくことだ。なので僕は40km/h制限のマイルールを設けてます)
200014
 
- 走行ルートの考察 -
 
あなたは、この状況で、この先に起きること、そこへの対応を、どこまで予測できるだろうか?
 
しかも高速走行での瞬間にだ。たとえば72km/hでは1秒間に20m、54km/hでも15m進む。100mを5−6秒で過ぎるわけだ。この文章で長々と書いていることは、ほんの数秒間に起きたことだ。
 
言い換えれば、彼の命はその数秒間に、失われた。
 
215551

念のため、以下全てクルマを邪魔しない場合限定、いたらサイド徐行一択です

「低いワイヤーの向こうが致死的な崖」という当コース特有の危険性から、こうゆうとこはゆっくり走るに限ります。ここでは一般的な状況での基本説明です

おそらくは、知識がないか、あってもその瞬間での状況判断ができなかった場合、上の黒ラインになるのではないだろうか。直線的にスピードに乗ってアウトを通り、少しインに切れ込んでゆく。もしこれが平坦でそれほど高速ではなく、カーブも緩め、コース幅も十分にあるのであれば構わない。しかし今回それでは速過ぎる。「速過ぎる」とは、ブレーキ操作が間に合わないリスクがあるという意味だ。
 
自転車ロードのJoaquim Rodríguez=ホアキン・ロドリゲス選手ツイッターでのこの動画は、同じ状況かもしれない。18〜20秒あたり注目。
こちらは落ちた先が80mの崖ではなくてクッション性能の高い低い藪で、笑い話として投稿されている。「大丈夫だ、バイクは無事か?」と走り出し、あれハンドル曲がっとるな!と走りながら叩いて直すというワイルドな。
 
注目は18秒あたりから、ガードレール激突直前に、一度曲がろうとしているのにハンドルが戻る、という奇妙な挙動が見られる。これは後輪ロックによるグリップ喪失と考えられる。ブレーキ過剰で車輪をロックさせると、どんな高性能タイヤでも、本来のグリップが失われる。こうなったら(低速ならともかく)できるのは、直進かスリップくらいだ。
 
また、モーター付バイクの「ハイサイド」に似た現象もありうる。順に:
  1. 後輪ブレーキ過剰&後輪ロック(=自転車の場合)(エンジン付きなら、アクセル過剰&グリップ限界超え)
  2. 後輪が横滑り
  3. あわててブレーキ解除(エンジン付きならアクセル緩める)
  4. 後輪グリップ回復→ 車体が立ち上がる&直進力UP
なお前輪ロックだと、いわゆる「ジャックナイフ転倒」で、バイクごと前に投げ出されることになる。本来は絶対に避けるべき事態だが、今回では、ガード手前数mまでなら、それでも助かったかとも思う。ただこれは狙ってやるべきことではない。
 
- 検証結果 -
 
つまり今回の事故現場で考えられる事態とは、高速で進入したカーブが予測した以上に急なことに気付き、しかも目の前が崖で、慌ててブレーキングに入り(いわゆるパニックブレーキ)、車輪をロックさせてしまうということ。その状態で曲がることはできない。あ、と思ったときにはガードを越えている。ほんの1-2秒間に起きることだ。
理想を言えば、スリップしてしまったほうがよかったのだが、重傷確実な行為、普通できることではない。
 
ここで安全バッファを確保するための正解は、「※Out-In-Out」のライン取り。
※2018.01.17追記: 下記コメントでも議論がありますが、「公道一般でのアウト・イン・アウトを推奨」する意図ではありません。この事後現場が、左端だけを走っていては制限速度内でも危険なのです。もちろん全てクルマや歩行者など他者のリスクが無い場合限定、いたらサイド徐行一択です。徹底的な減速に勝る対応はありません。
それでも書くのは、知識として持っておくことは有益だと思うから。理解と実行は別の問題で、理解だけして実行はするな、とシンプルに読んでいただきたく。(追記以上)
 
なんてヤヤココシイ但書を踏まえつつ、その場合が上の赤ラインだ。基本的な教科書には書いてあることだけど、解説しておこう:
  1. 次の右カーブに必要な減速を写真の手前あたりまでに完了させておく。これがとにかく超重要!
  2. 右カーブの一番手前で、インからアウト側に出る。右カーブを少し早く始めるわけだ (※なお当コースでは低いワイヤーの向こうは崖なので、そもそもそうゆう攻め方はしたらダメ)
  3. 右コーナーの最も曲がりのキツい部分のイン側に向けて曲がる。ここでブレーキをかけては基本ダメだが、速度コントロール目的で軽くこするのはあり(※上級者は前ブレーキで前輪荷重させたりしてるみたい=僕できません)(※もちろん対向車が来てる時は徐行)
  4. コーナー終わりでアウトに出る
なお上記2.の動きは、急カーブを本来の道よりも手前で開始することが目的で、結果としてInやOutに位置するのであって、横移動が目的ではない(=くれぐれもクルマの邪魔しないように)。それによって安全マージンを確保できる。より緩いカーブとできるし、より長い時間をかけて安定して曲がれるわけだ。その分、1つめ緩カーブをより急にしてもいる。
 
※追記:現地の方からの情報では、やはり本当に急傾斜し、しかも逆バンクだそう(雨・土を谷に流すように傾けている)。事前に予測して十分な減速をするか、さもなくば、曲がりながら減速用のブレーキをあてる高度な技術を要する場面だ。上記はあくまでも一般論としてご理解を。
 
- 知識と判断 -
 
繰り返すが、こうゆうことは、知識と、その瞬間での状況判断、両方が必要。もう一度、3つ上の画像(赤ライン一本の)を見てほしい。本能に任せて走っていると、スピードに乗ったまま、ストレート気味に入ってしまうのではないだろうか。そして速過ぎることに気付き、過剰ブレーキでグリップを失ったタイヤが直進し始める。無理にでもバイクを傾けて曲がりにいくしかない。それは高確率でグリップ不足による落車を起こすだろうが、それなら酷い骨折程度で済んだ可能性も高い。
 
もう1つの可能性は、重心を極限まで後ろ&低くすること。この技術(というか意識)なら汎用性が高い。今回ならガード衝突時に下側に倒れ込むことだが、そもそも下りでは後ろ重心は難しい上に、この現場のガードはなにしろ低い。なので、身体を横に倒すことでしか実現されない。すると上記のようにスリップダウンすることになる。これならセオリーに沿って、被害を最小化するものといえる。
 
これらは地球上で逃れることができない物理法則だ。実走練習とは、それら知識を理解した後に、身体でも理解するための確認作業であるべきだ。やみくもな努力で身につくものではないし、そうすべきでもない。
 
アクシデントは起きた後は運にも左右され、対応に絶対解はない。ただ、原理原則の理解と事例蓄積により、リスクを減らすことならできるはずだ。
 
 
- 下り練習について -
 
ここまで書くと、1つのシンプルな結論に辿り着かざるを得ない。
 
絶対に攻めてはいけない下りがある。
 
僕自身は、そもそも下りは練習すべきではない、という(シルベスト山崎店長などの) 考え方を支持している。十分な知識は備えつつ、その操作技術は基本は平坦で磨くべきだと思う。日本の山は危険過ぎると思うから(〜少なくとも僕のスキルからすれば〜テクニカルな群馬CSCのJCRCレースでCクラスですが表彰台に上がる程度の力は一応あります)。
だから僕は山での練習では、下り区間は平均速度の計測対象から外している。下りの速度は、ちょっと攻めるだけで、簡単に上げることができてしまうから。そんなヌルい練習で強くなれるはずがない。
 
ただし目的が速さではなく、安全性を高めることにあるのならば、下りスキルは重要だ。そのために、十分に事故リスクを考慮した環境で、交通に迷惑もかけずに行うことは、意味のあることだと思う。あくまでも安全のためであって、速さであるべきではない。ただ、安全走行を本当に身に付けることができれば、結果的に速くもなるだろう。
 
そのためにも、安全な環境でのブレーキング練習は大前提だ。下りコーナリングは、
  1. 横への重心移動(バイクを傾け、身体も内に寄せる)
  2. タイヤの横グリップの確保(グリップ力の限界内に留める)
  3. 加速し続けるので、必要なら緩いブレーキで速度制御
といった要素を同時に実行する必要がある。2と3は矛盾するもので、ブレーキングは縦方向のグリップなので、やりすぎると横グリップ力まで消費してしまう。また強すぎてロックさせる危険は上述の通りだ。よって、各要素を個別にできるうようにした上で、さらにコース予測能力を身に付けて、初めて、山に入るべきものだと思う。
 
なお自転車ロードレースのプロなら、下りで勝負をかける場面もある。サガンやフルームの下りアタックは見てるだけでハラハラして、さすが軽く年収数億円を稼ぐであろう世界トッププロは違うなと思わせる。ただし彼らは、事前に走り込んで熟知したコースでなければ、攻めることはないと聞く。フルームは下りのためにフォークを4mmだか前に出した特製バイクをPINARELLOに作らせてる!
それでも、リオ五輪のニーバリのように世界トップレベルの下り技術で、入念に調べたはずのコースでも、転んでしまうものだ。そんなリスクは、プロでも取りにいかないほうがいい、ともいう。(たとえば栗村修氏コラム「「下りのコツってなんなんでしょうか」→ http://cyclist.sanspo.com/158916
 
特にトライアスロンでは、下りのコーナリングでタイムを稼ぐ場面は無いといっていいだろう。これはエリートでも同様だ。それだけに、この事故がナショナルチーム活動の中で 起きてしまったことが残念。
 
下りの速さを求めることのわずかなメリットに対して、そのリスクは大きすぎ、そしてその結末は哀しすぎる。

2017年1月22日 (日)

追悼: プロトライアスリート小林大哲さん(享年24)が遺したもの 〜 mourning triathlete Hiroaki Kobayahi

2017年1月21日午後2時前、小林大哲(こばやし・ひろあき)選手が自転車で崖から転落し逝去された。ニュースのタイトルに目を疑い、記事に彼の名を見て、また疑った。本当に、彼なのか。でも何度見ても、そうでしかなかった。

彼のトライアスロンへのチャレンジは、ほんの2年に満たずに、未完に終わってしまった。あまりにも悲しい。それでも、その足あとが意味するものは、日本のスポーツ界すべてに知ってもらう価値あるものだと思う。

 

- 小林大哲選手とは -

JTU日本トライアスロン連合の2016年ランキングでは10位。より実力がストレートに表れる日本選手権では8位。ただ、その潜在能力はもっと高い。2015年にトライアスロンを始めたばかりで、1年8ヵ月ほどの短期間で成し遂げた成果だから。2020東京五輪時点ではトップに位置していた可能性も、そして世界と戦えていた可能性だって、十分あった。

1992年生まれ、千葉県出身。中学では水泳部で400m自由形が4:30−40秒くらいだそうで、競泳選手としては勝負できず、検見川高校で陸上長距離に転向。順天堂大に進み、箱根駅伝ではあと一歩でメンバー入りを逃す。駅伝部の合宿地に日本食研のトライアスロン部も来ており、つながりができた。4年になり、就職が決まっていなかった頃に新人募集のトライアウトがあると聞き、参加したら合格、未経験のままプロ・トライアスリートとなったのが2015年2月だという。

僕が彼に出会ったのは、その4ヶ月後の愛南トライアスロンのこと。表彰式会場への入場を待つ列の隣にいた、一目で鍛え上げられた様子の若者に声掛けしたら、日本食研の新人プロ選手だという。ベテランの平松幸紘選手をおさえて2位に入ったのだが、それが彼の初の51.5kmレースだと聞いて、びっくりした。

「すごい、すごすぎます、そんなことがあるんですか! 次の目標は?」と聞いてみた。

「3週後の酒田のU23選手権での優勝です。」と明確に答えていた。

「U23代表を掴みたいのです、実力的には勝てる大会ではないですが、チャンスはゼロではないはずなので」と。

いくらなんでも、まさかキャリア4ヵ月で、実力者ひしめくU23優勝なんて無理だろう。でも志の高さはすごいなあ、とその時は思ったように記憶している。態度、口ぶりは、謙虚すぎるくらい謙虚で、真面目さがにじみ出ている印象。それと大きな目標とのギャップに、少しびっくりした。

しかし3週後、本当に優勝する。知人のトライアスリートがその場に居合わせて、ゴールでの雄叫びを見ていたそう。その話を聞いて、大哲さんは本気で狙っていたんだと知った。

すごい才能が表れた、と思った。

そして同年9月、シカゴの世界選手権でご一緒することになった。当時のブログはこちら 「カテゴリー「'15- ITU世界選手権Chicago」  ご参照。さすがにU23世界選手権、バイクは実力者が揃う大きな第一集団から遠く離された4人だけの厳しい集団で消耗してしまうが。ランでは周回ごとにパフォーマンスが上がっているのがわかった。世界で戦えるラン。いつか世界大会でバイク第一集団から見たいと思った。

「ひろー!」と熱心に応援される年配の男女がいた。話しかけてみると、 小林選手のご両親だった。大舞台で喜んでいるというより、どこか、心配そうにも見えた。

追記1/24:この箇所をITUニュース "Triathlon family mourns passing of Japanese athlete Hiroaki Kobayahi" 22 Jan, 2017 にて紹介いただきました。引用:

“I met him (Kobayahi) for the first time at one triathlon event just four months after his triathlon trial test. At first glance, I could tell how hard he trained to build up his body and muscles. I was stunned by his performance when he finished second at his first 51.5 k race. To my question of what was his next goal, he clearly answered that he would like to win the U23 Championships in three weeks’ time.

He said, ‘I want to make a U23 national team. I know my ability won’t match the level of the Championships, but I believe the chances are not zero.’

I thought it would never happen as he had only four months of triathlon experience at the time. However, I remember I was impressed by his high spirit and the way he talked in a humble manner. His attitude was so humble and too modest, but, his honest and serious personality appeared through his words. To be honest, I was surprised with the gap between his aspiration and very reserved personality. But, in fact, three weeks later, he won the race.”

そう思わずにいられないような謙虚さ、真摯さを、少しでも世界の「トライアスロン・ファミリー」に知っていただければ。

Img_3052_4

 

- 事故について -

NHKニュース動画 を見ると、スピードの出やすい緩いカーブが続く下り途中に、突如あらわれる急カーブ。こうした山中では、雨や泥を流すために、崖側を下げる逆バンクが設定されていることも多い。下りながら「やばい逆だ」と気付いたときには遅かったりする。山だから砂も浮きやすい。整備された舗装路での浮き砂でのコーナリングは、軽量で細タイヤのロードバイクの弱点。

最大の問題は、ガードが腰の高さもないようなワイヤーだけであること。明らかに4輪車しか想定しておらず(眺めは良さそうだ)、2輪にとっては無いのに等しいとさえいえそうだ。自転車で接触すれば、即その上へ跳ね飛ばされてしまうから。しかもその先は高さ80mという崖。消防が駆けつけて50mのロープを下ろしたら足りず、ドクターヘリを要請したそうだ。

映像では看板を立てる金属製ぽいパイプの1つが完全に折れ曲がり、衝突の衝撃の強さを物語る(今回の事故とは限らないが、たとえば4輪での衝突なら下側がより激しく損傷しているはず)。結構な速さで激突し、その反動で軽く数mは水平に飛ばされたとしてもおかしくない。だとすれば、途中に引っかかることもなく、岩場の川原へ吹っ飛ばされてしまう。

つまり、普通なら、せいぜい鎖骨か肋骨かを折って済むようなミスが、致死率ほぼ100%になってしまう。これほど条件の悪い道は、日本には他にほとんどないのではないだろうか。最悪の箇所だ。

何度か現場を自転車で走ったことがある現地の方によると、

「自動車で走るぶんには何ともないカーブが、ロードバイクやTTバイクで走ると曲がりきれない下り道」
(完熟マンゴーの、トライアスロン奮闘記)

だそうだ。照葉大吊橋からの下りを下記Yahoo!ルートラボで検証 してみた。それらしき危険箇所は640mあたりに1つ。斜度25%と表示される急な下り(※地図の標高設定によるので正確ではない)からの、アウト側で崖に向かってゆく右カーブ。他に3つくらい似た箇所がある。(航空写真モードで拡大可能)

ほんの一瞬の油断が生じる場合もあれば、「この先のガードが怖い!」と見てしまった瞬間にハンドリングがそちらに向かおうとする本能もある。ブレーキングも直行しているうちは有効だが、曲がりながらでは逆に車体を不安定化させてしまう。全て、僕も何度か経験あること。こうしたリスク要因と不運とが重なることは、誰にもで起きうること。

※追記:新記事「小林大哲選手事故現場のネット検証、そして競技自転車の「下り練習」について 」にて詳細な事故状況の分析を掲載しました。(2017.1.27) 

しかも、1/9から(事故2日後にあたる)23日までの宮崎シーガイアでのJTU強化合宿、3週間の疲労がピークに来そうな時期。あまりにも悪条件が揃いすぎてしまった。

僕だったら、ただでさえ下り時速40km制限をかけるような(異常なまでの)怖がりなので、こんな状況ならほぼフルブレーキ停止してから超徐行してそうな箇所。でも、8名で、距離を空けたとはいえ隊列組んで走る中で、それもやりずらい。ブレーキで後ろが乱れてしまうし、そもそも、走りながらその状況が見えるとは限らない。

 

- 彼が日本のスポーツ界に遺した(遺すべき)もの -

1つ言えることは、 小林大哲さんが、ほんの2年にも満たないあいだにトライアスロン界で達成されてきたことは、彼にしかできないものだったということ。

トライアスロンへ転向して、ほんの4−5ヵ月でU23で優勝してみせたという事実。そのデビュー年の日本選手権が19位、翌年には8位。わずかの間に着々と実力を上げていたという事実。今年の10月に、そして2018年、2019年に、どこまで上げれたことだろうかと思う。

この足あとは、これから、トライアスロンへ転向しようとする他種目のトップアスリート達に、そしてトライアスロンにかぎらず、すべての種目で転向を迷っているアスリート達に、たしかな重さを持って、残り続けるだろう。少なくとも、そうあるべきだ、と思う。

日本のスポーツ界では、1つの種目にこだわる文化が強い。種目というより「その組織」といったほうがいいかもしれない。これは再検討されるべき20世紀の遺産だと僕は思っている。スポーツに限らない話だから、根は深い。

欧米のトライアスリートが強いのはその逆で、日本だったら陸上長距離か競泳かに囲い込まれているような10代選手が、子供の頃から、競技自転車もやれば、遠泳大会にも出れば、クロスカントリーの大会にも出ている。結果として、トライアスロンが一番成績いい、という選手がオリンピックへとチャレンジしているのだと、僕は見ている。ランパート10kmを28分台で走る選手が続々と表れているのは、その結果だと思う。

日本でいえば、箱根駅伝に集中する才能の中には、中高から、たまにでも水泳自転車を併用していれば、それくらい出来る選手はいるだろうと思う。ここでは、「1つのことをコツコツと極める」という日本の職人的な美意識が(もちろんそのメリットは大きいのだが同時に)、世界レベルで戦うための制約にもなっている、ということ。

その壁を、現実に破ってみせて、ほんの2シーズンでここまで進んでみせた、という実績は、彼だからこそできた、オリジナルなものだ。

本当は、彼のチャレンジの真価はここからだったのだけど、それはもう、どうしようもないことだから。

ただ、トライアスロンに、スポーツ界全体に、これから活かされてゆく価値のある、チャレンジであると、僕は思う。

・・・ 

あの日、お会いできてよかったです。大哲さんの達成に心からの敬意を捧げます。安らかにお眠りください。

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

フォト

『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』

  • 初著作 2017年9月発売

Blogランキング

無料ブログはココログ

Google Analytics