英国EU離脱の社会心理を、市民アスリートと比べてみた
※今日のは読んでも速くなりません
Facebookで流れてきた写真。
英国商人さんは左上な感じの世界の素晴らしいものを(たまに中国にアヘンとか)売り買いして栄えてきた。といって多数派は右下(缶詰の大豆煮、まずそー!)な世界に生きてそうで、かれらも本当はその恩恵を受けてきたんだけど、そうゆうのは実感しずらい話だ。それより、突如あらわれた隣の移民・難民さんのが、リアルな不安を生んで、閉鎖的・排他的になってゆく。
<EU離脱の心理>
改めて思うのは、「人は集団を求め、集団は敵を求める」ということ。
イケイケな時には、個として合理性を追求できる。EUの誕生もそうで、冷戦崩壊で東欧が同一マーケットに入るというイケイケな90年代のことだ。おかげで、日本が全く経済成長しなかった20年間、ヨーロッパは伸びることができた。EUで増えた移民は確実にGNPを伸ばす。この点で日本は周回遅れをくらっている。(かわりにお札大量印刷してみたのが日本のアレね) 右下の缶詰的だった英国料理は今や左上に進化してるそうだけど、それも移民コックさんのおかげだろう。ただ、その儲けは、まず経営者と金融業に入る。わずかなトリクルダウンを待ってる間に格差が広がる。
そうゆう不満・不安の中では、人は、伝統的な価値観や集団に回帰してゆくもの。
そして、集団心理は、不満・不安の原因と思われるものを、共通の敵とみなす。
それは「上手くいかない自分への言い訳」にもなって、好都合だ。
前回、精神的ストレスの重要性について書いた。それくらい、心を守るということは、動物としての当然の防衛本能なのだ。だから、こうゆう反応は、不合理だとか愚民だとか批判するのも、わかるんだけど、それだけで割り切れるものでもない気がする。
生存本能レベルの話とみれば、「離脱の損失は大きい」とか理性で幾ら説得してもムダだったのも、理解できる。北部スコットランドは残留一色なのも、イングランドへの歴史的反感から、敵の敵だからEU味方、的なこともあるだろう。
そこで残留派さんは、メンタル抱きつき戦法というか、「移民や難民は怖いよねー!」と離脱派の主張の半分を取り込みにいったりなら展開は違ったかもなんて素人考えしてみたりもするけど、理想を追求したいエリートには難しかったのかな。
まあ、数年前の政権交代みたいなもんで、期待が大きいほど失望も大きい状態に数年内に陥るのか。不満のはけ口ってものは、現実世界には存在しないもの。
とかいって、そこは欧州人のこと、こっから老獪な交渉が始まって、なんとか収めるシナリオもあるのかも。
<市民アスリートの心理>
これ、耐久スポーツにとりくむ市民アスリート社会心理と、強引に絡めておく。
スポーツとは、敵を作ることから始まる。登山などアドベンチャー系も「山への征服戦争」として始まっている(最近は共生ぽく変化してるが)。この時点で、「敵をイメージしたい」という生存本能が充たされる。
そして、耐久スポーツとは自分との戦いだ。オノレの内にある敵だ。
その敵に対しては、「言い訳」をすることはできない。一方で、「自分なりの勝利」はなんらか可能だ。コントロール可能な敵でもある。自分の身体に常駐するものだからね。
回帰する先は、閉鎖的な集団ではなく、まずもって自らの身体だ。
コミュニティの外側に、コントロールできない敵を求めて、言い訳をするよりも、遥かに建設的で、優しいといえるかもしれない。
(市民スポーツを楽しめる層は、社会の中で比較的、左上な豊かな人達が多いかも、て面もあるかもだけど)
・・・
結局EU離脱とは、人は居心地の良い集団に居たい、という単純な話かな。
経済学は、集団規模を拡げると全体の儲けが増えること証明する。
公共哲学は、集団内で福祉レベルを保てと情熱的に力説する。
政治学の一部にはきまぐれな大衆を信用せずエリートに支配させたいホンネがある。
これら全部のせしたのがEUて理解。(1つめに極端に振ったのがアメリカで3つめは中国)
なんだけど、集団をオープン方向に振り過ぎると、振り子はクローズ方向に戻って、生理的に落ちつける集団性を回復しようとする。
Brexitは、経済・経営目線からは愚かな判断だし、政治目線ではポピュリズムとか排外主義とか劣ったもののように見られるけど、人の集団てそんなもんだろ、という社会学の目線も忘れちゃいけない。
なんにしろ、「正しい判断」てものがあるわけではなく、「その判断を正しいものとする行動」があるんだと思う。最大に活かす道をイギリスさんには進んでいただきたく。歴史とはそうゆうものの化学反応で進んでゆくもの。
←読んだ、まあおもしろいかな
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