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2016年6月の4件の記事

2016年6月24日 (金)

英国EU離脱の社会心理を、市民アスリートと比べてみた

※今日のは読んでも速くなりません
 
Facebookで流れてきた写真。
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英国商人さんは左上な感じの世界の素晴らしいものを(たまに中国にアヘンとか)売り買いして栄えてきた。といって多数派は右下(缶詰の大豆煮、まずそー!)な世界に生きてそうで、かれらも本当はその恩恵を受けてきたんだけど、そうゆうのは実感しずらい話だ。それより、突如あらわれた隣の移民・難民さんのが、リアルな不安を生んで、閉鎖的・排他的になってゆく。
 
<EU離脱の心理> 
改めて思うのは、「人は集団を求め、集団は敵を求める」ということ。
 
イケイケな時には、個として合理性を追求できる。EUの誕生もそうで、冷戦崩壊で東欧が同一マーケットに入るというイケイケな90年代のことだ。おかげで、日本が全く経済成長しなかった20年間、ヨーロッパは伸びることができた。EUで増えた移民は確実にGNPを伸ばす。この点で日本は周回遅れをくらっている。(かわりにお札大量印刷してみたのが日本のアレね) 右下の缶詰的だった英国料理は今や左上に進化してるそうだけど、それも移民コックさんのおかげだろう。ただ、その儲けは、まず経営者と金融業に入る。わずかなトリクルダウンを待ってる間に格差が広がる。
 
そうゆう不満・不安の中では、人は、伝統的な価値観や集団に回帰してゆくもの。
そして、集団心理は、不満・不安の原因と思われるものを、共通の敵とみなす。
それは「上手くいかない自分への言い訳」にもなって、好都合だ。
 
前回、精神的ストレスの重要性について書いた。それくらい、心を守るということは、動物としての当然の防衛本能なのだ。だから、こうゆう反応は、不合理だとか愚民だとか批判するのも、わかるんだけど、それだけで割り切れるものでもない気がする。
 
生存本能レベルの話とみれば、「離脱の損失は大きい」とか理性で幾ら説得してもムダだったのも、理解できる。北部スコットランドは残留一色なのも、イングランドへの歴史的反感から、敵の敵だからEU味方、的なこともあるだろう。
そこで残留派さんは、メンタル抱きつき戦法というか、「移民や難民は怖いよねー!」と離脱派の主張の半分を取り込みにいったりなら展開は違ったかもなんて素人考えしてみたりもするけど、理想を追求したいエリートには難しかったのかな。
 
まあ、数年前の政権交代みたいなもんで、期待が大きいほど失望も大きい状態に数年内に陥るのか。不満のはけ口ってものは、現実世界には存在しないもの。
とかいって、そこは欧州人のこと、こっから老獪な交渉が始まって、なんとか収めるシナリオもあるのかも。
 
 
<市民アスリートの心理> 
これ、耐久スポーツにとりくむ市民アスリート社会心理と、強引に絡めておく。
 
スポーツとは、敵を作ることから始まる。登山などアドベンチャー系も「山への征服戦争」として始まっている(最近は共生ぽく変化してるが)。この時点で、「敵をイメージしたい」という生存本能が充たされる。
 
そして、耐久スポーツとは自分との戦いだ。オノレの内にある敵だ。
その敵に対しては、「言い訳」をすることはできない。一方で、「自分なりの勝利」はなんらか可能だ。コントロール可能な敵でもある。自分の身体に常駐するものだからね。
 
回帰する先は、閉鎖的な集団ではなく、まずもって自らの身体だ。
 
コミュニティの外側に、コントロールできない敵を求めて、言い訳をするよりも、遥かに建設的で、優しいといえるかもしれない。
 
(市民スポーツを楽しめる層は、社会の中で比較的、左上な豊かな人達が多いかも、て面もあるかもだけど)
 
・・・
 
結局EU離脱とは、人は居心地の良い集団に居たい、という単純な話かな。
 
経済学は、集団規模を拡げると全体の儲けが増えること証明する。
公共哲学は、集団内で福祉レベルを保てと情熱的に力説する。
政治学の一部にはきまぐれな大衆を信用せずエリートに支配させたいホンネがある。
これら全部のせしたのがEUて理解。(1つめに極端に振ったのがアメリカで3つめは中国)
 
なんだけど、集団をオープン方向に振り過ぎると、振り子はクローズ方向に戻って、生理的に落ちつける集団性を回復しようとする。
Brexitは、経済・経営目線からは愚かな判断だし、政治目線ではポピュリズムとか排外主義とか劣ったもののように見られるけど、人の集団てそんなもんだろ、という社会学の目線も忘れちゃいけない。
 
なんにしろ、「正しい判断」てものがあるわけではなく、「その判断を正しいものとする行動」があるんだと思う。最大に活かす道をイギリスさんには進んでいただきたく。歴史とはそうゆうものの化学反応で進んでゆくもの。
 
←読んだ、まあおもしろいかな

2016年6月22日 (水)

Nスペ「キラーストレス」特集から、耐久アスリートの突然死を考える

1988年、森高千里は言った。ストレスが地球をダメにする。
あれから四半世紀を過ぎて森高は江口になり、オバサンにもなり、その間にオバサンという概念は大きな変貌を遂げたのであるが、ストレスの恐怖は増大する一方だ。
 
先週末のNHKスペシャル「キラーストレス」特集 要点を僕の興味に沿って説明すると、
  • 精神的ストレスで、人は死ぬ
  • 小さなストレスでも、重なると、人は死ぬ
  • ストレス対策に運動は効果がある
そこから、耐久アスリート(特にトライアスロンのスイム)にとって、
  • リハーサル不足の状況が複数重なると、突然死を招く
と解釈できると思った。以下、説明しよう。
 
 
<キラーストレスとは>
精神的ストレスとは単なる気分の問題ではなく、現実に身体を攻撃するものだ。
脳が不安や恐怖を感じると、身体は「ストレス反応」を起こす。ストレスホルモンの分泌、自律神経の興奮により、心拍数が増える、血圧が高くなる、などだ。
一つ一つは小さくても、多くのストレスが重なると、体内の常在細菌暴走による血管の破壊、脳卒中や心筋梗塞、大動脈破裂などを引き起こす。がんなど長期的な悪影響もある。
 
「病は気からは」とは、気で治るという精神論よりも、気で病が起きる、という事実にまず注目すべきものだ。
 
 
<ストレスの心身バランス>
ストレス反応自体は、野生動物としての本能的防御反応にすぎない。このおかげで弱い人間は生き延び繁殖してきたわけだ。しかし野生において、ストレスを受ける状況とは、同時に身体的なストレスもセットだ。このことは番組では触れていなかったけど、結局のところ、問題はここに根差していると僕は思っている。
 
現代人にとってストレスとは、精神面の負荷だけが切り離され肥大化している。身体サイドとのヒズミが発生しているはず。それでも単独攻撃ならばやり過ごすことができるが、脳神経がリカバリーしきる前に2度3度と連続攻撃を受ける事態は、人体は想定していない。
野生動物であれば、精神疲労=肉体疲労というバランスが保たれるので、こんな時は身体も疲労困憊し、ヤバいもうムリ!と自覚できるわけね。ま身体が動かなくて狼さんに食べられちゃうのかもだけど。
でもメンタルだけの場合には、それに気付けない。そして、まじめな人=傍からはメンタル強そうに見える人ほど、この危険な多重攻撃を、真正面で受け止めがちなんだろう。
 
番組でも説明されていた運動の効果とは、この心身での負荷のバランスを回復させるものと理解できる。
 
 
<耐久アスリートの突然死との関係>
身体ストレスについて、もう少し考えてみる。
それはアスリート目線でいうと、普段練習でしていない身体環境だ。たとえば最大心拍数比90%以上、僕なら毎分160以上レベルは、練習が十分なタイミングでなら良質な負荷だが、完全に緩んだ時期ならそうともいえない。まして運動習慣ない方なら悪いストレスだ。
 
心拍170なのに良質な負荷になるのは、精神的なストレスがないからだろう。高層ビルに渡した30cm板をそれで走らされたら心臓止まる。
 
しかし、トライアスロンには、特にスイムでは、人によってそうゆう状況が生まれる。突然死が相次ぐのは、こうゆう状況なのかなと思う。
等々。これらは単独なら問題なくとも、多重複合化することで、血管を破壊したりする。それが、番組から示唆される事態だ。
 
 
<どうすればいいのか>
1つ1つ、心身ともに「想定内とするリハーサル」を、積んでゆくほかないと思う。レースは練習のように。
 
うねりに対しては、かつて江ノ島・片瀬海岸で波に揉まれた経験から、一般論として:
  • 波のトップの力には絶対に逆らえない
  • 潜ればたいていの波は平気
といえる。日本の海水浴場は少し荒れるとすぐに遊泳禁止になるけど、サーファー・ボディーボーダーはボードが浮きになるので、少々なら攻めることができる。あと自己責任エリアだし。(遊泳禁止になるのは、管理者が安全責任を負っているから)
 
この経験から考えると、使える泳法は:
  • バタフライ的な体重移動型のクロール
  • 背泳ぎ、もしくは背泳ぎ的なクロールの呼吸
だと考えている。
 
特に2つめはスイム苦手な方ほど練習しておくべきだ。苦手な方ほど平泳ぎをしたがるけど、重たい頭を上げるために消耗する泳法だ。本当に楽をできるのは、脱力したまま呼吸できる背泳ぎ。荒れた海での仰向けは口から水が入ってきそうだけど、クロールで波の来る側を見ていればOK。
 
4月ブログ 『歩くように、泳ぐ 〜「側転イメージ」の新泳法プロトタイプ動画公開』 で紹介したこの動画は、その両方のイメージで泳いでいる。前後の体重移動はバタフライ、呼吸は背泳ぎイメージ。
 
 
<参考文献>
  • 運動の抗ストレス効果については、「脳を鍛えるには運動しかない!―最新科学でわかった脳細胞の増やし方」 (2009)
  • Nスペ後半でも取り上げる「マインドフルネス」の概念は「GO WILD 野生の体を取り戻せ! ―科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス」 (2014)
ともに、ハーバード医学部のジョン J.レイティ氏が取り上げている。
「マインドフルネス」自体には僕は興味ないんだけど(緩めのトレーニングはまさにそれだと思う)、本買うなら、CD付いて安いのがいいとおもう! 本質的に感じるものなので、情報の量とか正確性とか要らないはず。

2016年6月17日 (金)

【スポーツ動作の原理】 筋力発揮は一瞬、もしくはリレー

まずはランニングコーチ岩本さんブログより:
 

「RUNが生活に浸透している人にとって、1・立つ 2・歩く 3・走る の順にダメージが大きい」 (非エリート向け現実的対応が得意な方ですね)

本日の結論1: 立つ、歩く、もトレーニング

立つ、歩くのダメージの仕組みとは、筋肉の継続使用、だと僕は思っている。歩く動作は筋稼働時間が長いが、ランでは接地の一瞬だけ。接地以外の時間とは、マペットの如く、上体によって釣り上げて操作してるようなものだ。その操作レバーが「腕振り」であるわけだ。
 
そもそも動物は、力入れっ放しという動作はしないと思う。人間でも子供はしない気がする。例外は人間の大人。器用な腕と、文明&文化の中、そうゆう動作を後天的に学習しているんではなかろうか? たとえば子供が学校で学ぶ「きおつけ!前へならえ!」とかで静止し続ける動作なんて、まさに文化的なものだ。(たぶんルーツは軍事訓練)
 
そしてスポーツでも、教科書の中途半端な理解によって、力を入れようとしてしまう。たとえば、ランでは蹴って進み、バイクでは下死点まで踏み込み、スイムではストローク中ずっと力を入れようとする。だから、がんばっても、速くならない。
 
一方で、速い人は「蹴らない、踏まない、かかない」(竹内鉄平さんコメントより)。動物の身体で、筋力とは、一瞬でしか発揮されないものだからだ。
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そんなことをFacebookに書いたら、岩本さんブログ更新され:
 
 
と解説される。 このゆっくり弱い筋収縮は、本来はダメージが少ないが、身体が慣れてないレベルで繰り返すと、ダメージになると。適当というのはそうゆうものだ。
 
つまり、高効率なスポーツ動作において:
 
結論2: 出力は一瞬
 
では、継続出力が必要な場合はどうするか? 例えば、バイクは常に脚を回し続けるし、クロールでも1ストロークでおおざっぱに1秒くらい水を押していたりする。そこでも、ランの「事前反射収縮」の仕組みは共通するはず。そこで、こう考えられる:
 
結論3: 継続出力はリレー
 
個々の筋肉が発する一瞬の力を、複数筋群でチームを組んでリレーさせればいい。 そのつなぎ方で差が出るわけだ。(クロールの場合は講習会で説明している通り)
 
その際に、筋肉によってタイプがあり、胴体側の筋肉ほど、耐久性が強い。(でないと姿勢維持とか呼吸とかできないからね!) そこで、こうした継続出力が得意な筋力は、より長いリレー区間を担当すべきだ。そこで:
 
結論4: リレーのベースは体幹
 
これが昨今のスポーツにおける「体幹ブーム」の真の仕組みは、ここにあると思う。
 
最終結論: トライアスロンの技術とは「つなぎ方」
 
以上!
(めずらしくシンプルな文章を書いた笑)
 
<以下、参考文献>
ランで接地時間を短くする話は常識だよね? レース前日は走らず、歩かず、立たず、脚を温存」とは岩本さんの本で。
(右は電子版) ペダリングの強パワーが「一瞬」なのは、例えば2016年6月号サイスポの特集キーワードは「独走力」 自分史上最速になる!」参照。
 
スイムはわたくしにて作成中(いろいろあって進んでませんが)

2016年6月11日 (土)

「2軸クロール」の終わりと、新たな「スノボ」泳法について

<2軸クロールという表現の問題>
(いやもちろんそれで速くなり続けてる方ならそのまま続けてくださいね。当記事はそうでない方に向けて書いてるのは言うまでもなく)
 
日本の水泳界で最も売れてる本は、クロールは「2軸」だと表現する。ただ、2軸とは、もともとは陸の上での運動を解説する用語(小田伸午先生など著書参照)だ。20世紀型の1軸S字クロールを、高速水着向けに転換するために、2軸という対照性の強い表現を選んだんだろう。「当時は」その必然性があったわけだ。でも僕は泳ぎながら軸なんてないよなーと思ってた。三浦さんもそんな説明しない。じゃあなんだ?と表現を探し続けて、当記事に至る。
 
実際、今春から始めた 「三浦広司クロール撮影会」  で、これまで50名ほどの受講者さんの泳ぎを分析すると、かなりの高確率で、遅くて当然、というマイナスの型がある。
①肩を起点に、
②等速運動させるストローク
だ。前に書いた 「ストロークは後半勝負」  の真逆だ。
 
原因はたぶん、①間違ったローリング意識と、②呼吸しようとし過ぎること。
 
 
<ローリングの本質>
まずは、正しい動作から説明しよう。クロールのローリングとは、体重を片側づつ載せ替えたことの「結果」であり、スノーボードのエッジへの載り替えのようなものだ。「回す」のではない。回転軸とは行為ではなく存在にすぎない。
そして、エッジ=つまり胴体の両側面=に乗せた体重を、ストロークにまで載せる。エッジの切替により、ストロークに体重が載って、最後まで加速できる。逆に、ストロークだけ加速しようと思っても加速することは出来ない。水の重さに負けるからだ。つまり本質は、「ストロークへの体重の乗せ方」にある。
 
なお速いスイマーは、このスノボのエッジ位置が高い=水面に近いので、抵抗が少なくてさらに差がつくことになる。ただ、この位置は「結果」であり、意識できるものではない。
 
 
<ストロークに体重を載せる>
模範例1:疋田浩気さん
20160609_18154720160609_18172220160609_185428写真: ルミナ ウェブサイトの動画 より) 
ヘッドアップ説明用の、低速の特殊な泳ぎだが、それでも基礎が全く崩れないのは、まさに超一流だ。
  1. 右ストロークは右エッジに荷重
  2. 右ストローク終了により、反対側に荷重きりかえ。グライド=左腕のまっすぐなのは、まさにスノボの板
  3. リカバリーと共に、エッジに体重を載せている(キャッチアップのストロークではダメ)
この体重活用により、低速でも、安定したヘッドアップも実現できている。
なお、2つめで注目すべきは、右ストロークの上腕と下腕の位置関係だ。最後まで水を押し続けている。ここが一般スイマーとの完全な違いだ。
ご本人コメント:
 
「わかりやすいようにゆっくり泳いでる=グライドしてしまう、のであって、実際のレースでのスピードでは、だいたい1ストロークを1.6秒くらいで回しているため、ほとんどグライドしてないのです。そのストロークテンポを崩さずにヘッドアップをするので、少しでも前を見る時間を増やしたい❗そういう中から産み出した技なんです。」
 
模範例2: エイジのトップスイマー、ハルさんブログ: 「軸ではない。エッジだ!」
 
「2軸と言う言葉しか知らなかったのでその表現を使ってましたが、エッジに乗るという表現の方がしっくりきます・・・この画像でかいている赤線なんて、軸じゃなくてまさしくエッジです(笑)」
 
この手の動画は、手先の軌道に注目される方が多いのだけど、それダメです。何度も言ってますが。Youtubeを0.25倍再生すると、
  1. 腰に貯めた力
  2. キック
  3. 肩甲骨
という力のリレーがわかるだろう。バタフライのような上方向の力が、足先から順に、左右の半身に対して作用する。バタフライはクロールのように「肩回転」では泳げないので、胴体の体重移動が必要。これを片方交互で泳げばクロールになるが、体重移動も片半身づつ行うので、毎回左右の重心差が生まれ、自然と重心=腰が回転する。キックはそのトリガーだ。
 
つまり「ローリング」は、推進力を産みだした結果の副産物であり、焼き鳥みたいな軸回転をしているわけではない。これは体重の載った重く強い動作なので、肩甲骨も前後に大きく動いているし、ストロークも加速できている。腕力だけでは無理です。
 
講習で説明している「肩起点ではないストローク」、腰を支点とする「前後やじろべい」、なども実現されている。
 
ちなみに、僕の下手な泳法よりも肩の上昇タイミングが早いのもこのせい。身体全体が上昇するから肩も上がる。ただし、トライアスリートに多い「肩を回して肩から上がった」のではない。だから肩甲骨発のパワーは肩・腕に十分に載っている。
 
これと同じように泳ごうとする場合の条件は、
  • 強くて抵抗の低いキックの技術
  • それでも全身をブラさない姿勢保持力
だろう。これが彼の強力な武器で、実戦での成績からも、波のある海面でも姿勢維持できてるはず。(維持できないくらい荒れてると回転型に修正できてしまうのが上級者)
 
 
<失敗の原因>
「真似しやすいところを真似してしまう失敗」には水泳が苦手な人ほど気を付けたほうがいい。往々にしてそうゆう箇所は、本質ではない。
 
いくら泳ぎを撮影しても、トップスイマー(しかもプール競泳の)の形と比較して、目についたところを表面的に治そうとするのでは、まず速くならない。ただ、その違いを生む本質が理解できれば、100mあたり5−10秒くらいは練習抜きにポンと上がったりもする。
(なので、撮影会は、好評ではあるのだけど、そろそろ教材を完成させることを優先せせたいところ・・・でも別の大きな案件が複数あって動けず)
 
重要なのは動作の過程にあるのだが、表面に表れる結果、つまり「胴体のローリング」という型が中途半端に注目されすぎているのではないだろうか。
 
従来の「1軸」「2軸」という言葉には、回転軸が存在する、という無言の前提がある。それで、回そう、という意識が入るのではないだろうか。だとすれば無駄だし、有害ですらある。「速くなるために意味のある動作」しか意識すべきではない。
 
具体的には、肩を起点に胴体をねじれば、胴体は焼き鳥をあぶるように回転できる。
しかしそれでは、ストロークのパワーは逆方向に分散してしまう。
 

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『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』

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