ハロウィンと耐久スポーツ、急成長の共通性
<ハロウィン急成長の理由>
去年、今年と大ブレイクした感のあるハロウィン仮装、「ハロウィンから一晩あけた日の考察」 が納得の考察をしている。(BLOGOS, 森口朗, 2015.11.01)
国内では少数派の宗教のお祭りが、日本社会にするっと普及してる点につき、
換骨奪胎して意味なんか考えずに受け入れる。これが極めて日本的です。宗教そのものを意識せず、宗教行事の空気感だけを味わう。これが多数派日本人のあり方なのです。正月の厳かさ、縁日や神輿が出る祭の盛り上がり、クリスマスの「聖夜っぽさ」。それぞれ空気感だけを味わう。そして、今そこにハロウィンの「バカ騒ぎ」が加わろうとしている。まさに日本的ではありませんか。
ハロウィン以外の全ての祭が、実は「会員制パーティー」と化しているどんな人でも、日常とかけ離れた時を楽しみたい。そのためには、全ての人を受け入れる空間や時間が必要です。ハロウィンの盛り上がりは、「富」「社会的地位」「家族」「恋人」等々の価値あるものを何も持たない人が楽しむ空間と時間が、現在の日本にいかに少ないかを象徴しているようにも思います。
なるほど。ハロウィンの流行について、最も的確に解説していると思う。
<耐久スポーツとの共通点>
僕なりにつけ加えたい。
ハロウィンの、お正月やクリスマスには無い独自性とは、「自分が主役になれる」という、「参加型イベント」である点にあると思う。
その点で、マラソン・自転車・トライアスロンなどの耐久スポーツの流行と共通する。
同じスポーツでも、野球やゴルフやテニスでは、見るのには向いているけど、「大勢で参加できるお祭り」にならないし、参加する全員が主役にもなれない。
ただし、耐久スポーツでは、日常的な努力の継続という条件が加わるため、「誰もがすぐに参加できる」わけではない。参入障壁が高いのだ。
これは、「会員制」に似ているともいえそうだけど、「会員制」が「自分と同じ程度にリア充な仲間」が前提になっているのだろうけど、耐久スポーツは自分との戦い。自分の「意思と時間」との戦いかな。少なくともランニングなら、シューズ1つで走りだせばいい。
この日常的努力という要素がゆえに、一過性のお祭りに終わらないのが、耐久スポーツだ。
あらゆるスポーツは、真剣に上達しようと思えば、日常の中にトレーニングを組み込む必要がある。それは苦しい努力という一面もあるわけで、そのイメージが一般には強いのだろう。
でも同時に、レースというお祭りの延長が、日常の中に埋め込まれる、ということでもある。この「効力の長さ」の差も、ハロウィンとの大きな違い。
ただ、耐久スポーツ系の大会は、お祭りではあるのだけど、基本は「個」であり、そのまんまでは「パーティー」とはならない。
もちろんチームに入ってれば、チームの中でパーティーできる。でもそれだと「会員制のお祭り」そのまんまだ。すると、僕のように常に単騎参戦する者は、孤独なパーティー、てことになってしまう。
実際、僕も初期は、一匹狼気分で参戦してたし、その感覚を楽しんでもいた。(当時の湘南ワタナベレーシングという、支え的な存在は大きかったけれど)
ただ、レースを重ねるにつれて、仮想チーム的なものが、少しづつ膨らんでいった。
それは、レース会場でお喋りした相手であり(2戦目から表彰台に乗り続けることができたので、表彰式では必ず誰かと話すことができた)、毎回こってり書いたレースレポートの読者であり、それらを含めたFacebookの繋がりであり。
そうして、僕にとっての孤独なレースは、大きく拡がったパーティーへと、膨らんできた。きっと今この瞬間もそう。この記事で始めて僕のブログを読んだ、という方は何人もいるだろうし。
つまり、個人的行為をパーティー化させるのは自分次第だが、ネットはそのための有効な手段だ。
<まとめ>
このように、国民的お祭りを対比させると、
- お正月やクリスマス: 閉鎖的なパーティー
- ハロウィン: 誰もが「自分が主役になれる」お祭り、ただし一過性
- 野球やゴルフ: 開かれた、ただし、見るだけ (主役になれるのはごく少数)
- 耐久スポーツ: 誰もが「自分が主役になれる」、しかも、継続的に。ただし、日常的な努力を継続できる限りにおいて。パーティーになるかは、自分次第
そして、ハロウィンと耐久スポーツが共に急成長している理由の共通点とは、みんな自分が主役になりたいってこと。
一方で、そうゆうのを冷笑する人達も、確実にいる。
どっちに回るかは、自分で決めればいい。
これは、経済的先進諸国に共通する大きな流れの一部とも考えられる(社会学でいう後期近代における再帰的プロジェクト)。であるとすれば、ハロウィン自体がどうなろうとも、「ハロウィンぽいもの」の拡大は続くと思う。
・・・
僕はというと、被ったり塗ったりしなくてもハロウィンできるかな?との問題意識のもと、Facebookプロフィール写真でささやかに参加。
先月からのシカゴ2015Run写真を、週末、2007年オフィス撮影のものに切り替えたら、よもややの反響。笑
Facebookでの友達+フォロワーは只今1,700名ほど、圧倒的にトライアスロンなど耐久系アスリートが多く、ふだん書いてるのもそんな話ばかり。そんな中で、世間的には普通の写真を上げると、仮装として成立するという。。
人のイメージっておもしろい。
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バイクは己の野生を信じよう。お勉強するなら本より映像かな
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