16時間50分走った先の世界記録に「 あ と 5 秒 」届かなかった稲田弘さん(83)は、世界のアイアンマンの新たな伝説を作っていると思う
10月の第2日曜日、2015年なら10/11は世界のトライアスロン界ではいわばクリスマス、日本ではさらにお正月まで一緒に来たような1日。
日本の午前1:25にハワイ島でアイアンマン世界選手権KONAがスタートし、そのトップがRun後半に入る8:25にお台場で日本選手権女子がスタートし、KONAでプロ男子が9時半過ぎにゴールして、11:00にはお台場の日本男子がスタート。同じ頃、KONAではエイジ選手のトップレベルが表彰台を決めてゆき、「完走すれば表彰台確実」という高齢カテゴリでは、男子18:45、女子19:00にゴールをくぐれるかどうかで決着する。
僕は、プロ男子でフロデノが史上初のオリンピック(北京2008)とアイアンマン2015の二冠を達成したのを見届けるや否や電車で田町へ、レインボーブリッジ歩道を経由してお台場まで4km走り、途中の橋の上で男子Swimの後半から観戦開始。いろいろな人とお喋りしながら、華やかなお祭りを楽しむ。この1日を終点かつ起点として、日本のトライアスロン界は回っている。
このKONAとお台場の同時観戦記?は、また改めて書こう。纏めて言えば、Swim高速化がえげつない。それから、「トライアスロンとはドイツ人が最後に勝つゲームを言う」的な。
それより真っ先に書きたいのは、83歳のリビングレジェンド、稲田弘=Hiromu Inadaさん。16時間50分の制限時間に、あと5秒だけたりなかった!
写真は公式Facebookより
この写真は掲載後1日ちょっとの18時時点で、いいね6,936、シェア923、コメント347(このうち僕の英語コメントへの「いいね」は5番目に多い、世界5位?笑)。アイアンマン公式Facebookでの最大反響は男子プロ優勝のフロデノ1.2万いいね。それに続き、女子優勝もアンダーパンツランも(笑)上回る。僕の経験上、Facebookでは「いいね!」のおおよそ10倍の露出があるので、Facebookのこの写真だけで、10万を超える人達が見ることになるだろう。
世界中へ広がる感動を確かめるには、下記の写真リンクでのコメントをご参照:
「栄光の影の敗北。わずか数秒差で彼は史上最高齢でのKONA完走記録を逃した。しかし彼はまぎれもなくアイアンマンであり、この競技の素晴らしさの全てをその身体で表現している。この1枚の写真に込められた感動にただただ圧倒される」
上の写真はゴール100m手前らしい。その後再び立ち上がり、現地23:45の男子エイジ制限時間ギリギリでの通過を目指して走り始める。しかし、ゴールのほんの2-3m手前か、スロープを上がる途中で崩れてしまう。つまり少なくとも2度倒れている。最後の数mのスロープが、17時間を走り続けた83歳の脚筋の限界を超える巨大な壁として立ちはだかった。
こちら動画では、3−40秒あたりから右側の日本人応援団が気付いたようで日の丸が振られ始め、稲田さんは59秒あたりに表れ、1:03で倒れ、その「 5 秒 後 」に再び立ち上がって、ゴールされる。このあいだに、世界チャンピオンと最高齢完走記録とが逃げていった。ほんの3m先で待っていたのに。
※タイトルでは「世界記録」という言葉を使ったけど、トライアスロンには、「タイムでの世界記録」というものは存在しない。トライアスロンでは距離の厳密性が要求されていない(ITU=五輪ルールではBike誤差は10%以内まで許容している、意外と知らない人が多いけど)。あるのは「コースレコード」だけで、それも正式に表彰されることはない。今回逃したのは、厳密には、「世界選手権における最高齢での完走記録」となる。わかりやすく省略させていただいた
でも、稲田さんは替わりに、新たな伝説を作ったのかもしれないと僕は思う。なぜか。歴史と文化から紐解いていこう。
・・・
1970年代のアメリカは、ベトナムのゲリラやら日本企業やらに打ちのめされ、自信を失っていた。そんな時代に表れたのが、勝利を求めず、最後までやり抜くという愚直な行為そのものを目的とする行動だ。
その先駆けは、ヒーローなのにボロボロに打ちのめされ、ただ最後まで戦い抜いただけ、という異色の映画「ロッキー」(1976)だ。その舞台フィラデルフィアはアメリカ建国の地、アメリカの本来的な価値観を再生させる象徴的な意味があったと言われる。
ちなみにロッキーの原作・脚本はシルベスター・スタローン。そんな時代の変化を捉えた文学的センスが凄い。実際、大手映画会社は驚き、人気俳優を主演させる前提で数千万円で脚本を買い取ろうとし、しかしスタローンは「無名俳優である自分が主演しなければ意味がない」と拒絶して、低予算で制作された経緯がある。「無名のヒーロー」というコンセプトは、時代を先駆けていると思うし、この点でアイアンマンレース的だとも思う。スタローンは次作以降、クスリで筋肉を盛るようになり、きんにくVaca的なイメージで見てしまいがちなのだが。。
その後数年で、「最後まで走り切る」ことを目的とした奇妙かつ過酷なレースが次々に生まれる。アラスカ1,800km横断犬ぞりレース「アイディタロッド」、100マイルのウルトラトレイル「ウエスタン・ステイツ」、そして当時オアフ島の「アイアンマンレース」(1978)などだ。アイアンマンの発起人はベトナムから帰還して3年目の海軍将校たち。ある面では、失った自信を、自分自身を、取り戻す過程でもあったのだろう。
ただし、当初はあくまでも奇人変人だけのイベントだった。しかし1982年、より過酷なハワイ島に移って初めてのアイアンマンで、24歳の女子大生ジュリー・モス =Julie Mossが「伝説」を作る。初出場し、勝利を目前にして倒れ、這いつくばってゴールする。勝利は逃したが、ロッキーが現実化したかのような感動が全米、そして世界に広がった。
ついでに、アイアンマン競技規則に「Runでは、走る、歩く、もしくは、這って進むこと」との一文が追加された。
こうした歴史は、クリストファー・マクドゥーガル新作「ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 〜人類が失った"野生"のスキルをめぐる冒険」に書かれている(32章)。前作「Born to Run」前半と併せて理解しよう。著者インタビューは最新「Number Do」で読める。
つまり、当時の欧米先進国における「もう勝ち続けることができない」という価値観の転換期に表れ、ジャストミートしたのが、過酷さ自体を特徴とするこれらの長距離耐久レースだ。
日本(=当時は勝ち続けていられた) でも受け入れられたのは、1,000年続く千日回峰行などの修行僧文化、そこからのマラソン文化の存在ゆえだろう。
トライアスリートたちの苦闘は、こうした価値観を体現する、いわば「生身のロッキー」として、あるいは「無名の私と、ヒーロー&ヒロインとを、つなげるもの」として、語り継がれ、伝説となってゆく。実際、アメリカNBCのアイアンマンKONAの編集番組はエミー賞スポーツ部門の常連だ。この積み重ねの中で 「アイアンマンというブランド」が育ってきたのだ。
参考:稲田さんインタビュー http://www.value-aging.com/interview/vol003/index.html 60歳で水泳を、69歳で競技自転車を始め、3年前の80歳でアイアンマン年齢別世界王者。曰く、「スポーツされる方は、80歳までやり続けることを目標にされている方が多いのですが、僕はすぐに80歳になってしまった。その時に「いつまで続けられるのだろうか」と考えましたけど、まだまだできそうなので挑戦していきます。僕はいまトライアスロンをできること自体が楽しくて、「やればできる」ということが嬉しいんですよね。」
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