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2014年10月 4日 (土)

「制約条件の中で勝つ」ということ 〜箱根スター達を倒す京大ランナーの事例から

村上大会の反省の前に、1つ記事をご紹介→ http://toyokeizai.net/articles/-/48924 
報徳学園で駅伝部エースと進学コースとを両立させて京大に進み、インカレ1万m2位&日本人1位、つまり、箱根駅伝のスター選手たちを倒した平井健太郎選手のインタビュー。
タイトルの「あえて"非一流"の京大を選び、勝ち続ける男 〜 練習環境も、食事も、ないない尽くしの中で」 は大袈裟だけども。勝ち続けていないし(=だから選択と集中をしてるのだし)、食事もあるだろ! とつっこまざるをえない。リアルに食事に困ってるランナーなんて世界には幾らでも居るんだぞ。まあそこは釣ってナンボなネットメディア、笑って流しとこう。無料なんだしw
 
<目標と手段>
取り上げる理由は、彼の思考・行動が、とても「社会人アスリート」的だから。それを端的に示す語り:
 
「目標があって、現時点ではそこに届かない自分がいる。何が足りないのかを分析して、何をすれば埋まるのか考えて、具体的な行動をしていく」

結局、これに尽きるだろう。ここで文章を終えてもいいくらいだ。

ここで大事なのは具体策だ。目標は、1万m28分45秒(=1km2:52.5ペース)を切ること。対しての手段は、2000m(5分45秒=1km2:52.5)×4本、1000m(2分52秒)×8本、などレースペース100%でのインターバルをレース距離80%、またレース距離160%のペース走、などを軸としている。

月1,000kmの走り込みとは、こうした質を保ってのことだ。よくある間違いは、月あたり距離だけに注目して、それをノルマにし、その達成で満足してしまうこと。

何度も書いてるけど、重要なのは、「目標レースペース」をどれだけ積めたのか。しかしこの情報は表に出ることが稀で(計算も書くのも面倒だから)、総距離だけ伝わる事が多い(簡単だから)。その表面だけを読んで、報われない努力へと走る市民アスリートが量産されているようにも見受けられる。

<制約条件>

記事では、説明不要なレベルに完成された語りが続く。

「何よりも自分の目的を達成することが大切ですから。そのために自分で5時30分に起きることを決めました。しんどいとかしんどくないとかは考えないですね。」
 
「環境が悪いという考え方もできますが、僕はまったく逆の考えですね。自分のことを自分でやることで強くなれると信じています。」

ここで文章を終えてもいいくらいだ(しつこい)けども、しつこいことで悪名高いハッタリ君らしく説明しておくと、ここには「制約条件」という、社会人アスリートの本質がある。

今の学生長距離走は、大規模大学のマーケティング戦略の一環であるわけだ。有名大学は軽く「年商数百億円、資産数千億円」とか普通で(付属中高とかあるし)、さらに一般企業と違って将来の売上までほぼ保証され(少子化は上位校にはそれほど影響しない) 、仮に株価を付ければ時価総額は有名大企業レベルだろう。そんな巨大組織が力を入れるのだから、「制約条件を外すマネジメント」が行き届いていることと思う。
当事者は選手の自立性を強調していていて→読むとその通りなんだけど、でもそれは守られた枠の中でのこと。こうゆう制約の少ない環境ほど集中できて効果ありそうなんだけど、平井選手は、「制約条件の大きい」のに勝った、ということ。
 
制約条件とは、本当に制約してるのか? て話だ。
 
そして社会人アスリートに目を向けると、僕らは常に制約条件の中で競技をしているわけだ。平井選手のやりかたは学生長距離界では少数派でも、社会人スポーツ界での主流なのだ。そのスタイルでもトップレベルに行ける、という好例。
 
似た例には、グローバルエリートの象徴のような企業(たしか全社員の平均年収6,000万円というニュースが、、リーマンショック前だったか)で長年働きながら、プロ選手をも倒す自転車の高岡亮寛選手や→ フォードのエリート社員のまま競泳金メダリストとなったSheila Taorminaコーチとか。(以前の記事→)https://masujiro.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/8vol3-d540.html
 
そんな制約条件の中で戦う場合に重要なのは、「選択と集中」。
 
「関東の選手と、何か“差”をつけないと勝負できないと思うので、自分が狙う大会にはしっかり照準を合わせることを意識してきました。」
 
有力校ではスポンサー(=大学)も、世間も、駅伝に注目するわけで、トラック競技に一点集中する戦略は正しい。駅伝用の20km一定ペース中心に練習している相手は、イーブンペースでなら走れても、急激なペースの上げ下げに弱い(それは海外のトラックレースで日本選手が惨敗するところでもある)。実際、インカレで彼は中盤に揺さぶりを掛けて集団を壊滅させてるようだ。
 
<精神力のレベルで戦わない、ということ> 
もう一つ指摘できるのは、「しんどいかどうか」という感情のレベルではなく、「目標を達成している」という行動のレベルで、努力というものを捉えていること。
日本人は、マラソンとか見るのが大好きで、それはたぶんそこに自分自身の「耐える美学」を映し込んでいるからだろう。まあそれは大事なことなんだけど、勝つための(あるいは目標達成のための)トレーニングの場合、意味があるのは、「どれだけ耐えたか」ではなく、「勝つ(あるいは目標達成)ために必要な行動を、どれだけ積めたか」なのだ。
 
<個、として戦うということ>
そして最後は、精神力、気合。
直前に書いたことと、けして矛盾はしない。
朝5:30に起きるということに精神力を使わずに、最も大事な場面に集中させる、ということだ。目的への集中。その裏の動機が強いほど、より集中しやすくなるだろう。

「自分よりも大したことないのにマスコミに取り上げられて、芸能人きどりになっている選手もいます。僕より弱いくせに……」

なんて刺激的だけど、そこには、強烈な「個」としての意識を感じる。彼は陸上部での活動だけど、そのありかたは、おそらく強豪駅伝チームでは可能な「チームへの所属」とは、まったく違うもの。
 
制約条件の中で戦略を立てて目標に近づく、て、書くと論理的だけど、実際には京大ではなくて強大な精神的エネルギーを要する。すると、「一人で戦う精神力」って、かならずどこかで必要になる。どんな強いチームに属していても。
 
社会人トライアスリートでも、チームで活動してるひとは特に最近多いけど、みんなで長距離走ったり、チギりあったりすることに、満足しない方がいい。そのチームで一番強い人はたぶん、チーム練習していても、要所では一人で戦っているんだと思う。その前後でなら、チームが助けになることはあっても。
 
僕はいつも一人でトレーニングしていて、それを「すごいですね」と言われることがある。でも、一人であるからこそ、その基本と向き合いやすい気がする。ここは性格で向き不向きが分かれると思うけどね。
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<まとめ>
制約条件の中で、一人で戦う。それが競技をするということの本質。
 
さて、僕にはそれだけのものがあったのかどうか、、次回分析していこう。
 

・・・おしらせ・・・

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  3. 理論は大事

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