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2014年4月13日 (日)

僕ら市民アスリートには、失敗し、突き落とされる自由がある。

前回に書いたのは、大事なことだと思うので、もう少し書く。
 
レースでのとっさの行動には、日頃の習慣が反映されるから、トレーニング中に起きた嫌なことにも、いちいち感情を起動させないほうがいい。
 
そして、ミスったとき〜何かを失ったときには、その損失を「数値化」してみるといい。何秒ぶん失ったのかと。そう、それだけのことだから。
 
長距離耐久レースにかぎらない。
そのミスで、何円を逃したのか。何時間、何ヶ月の時間をかければ、取り戻せるのか。
受け止めて、その先へと切り替えてゆくことで、僕らはより速く、強くなるだろう。
 
トライアスロンであれ、他の過酷スポーツであれ、あるいは似たような何であれ、そんな無駄な(・・・笑)営為の中にあるもの、それは失敗する自由ではないだろうか。
身体の極限状態の底まで突き落とされ、もがき、ダメな自分を感じるという自由。
仕事とかでは、そうもいかないよね。
 
いや、そうとも限らない?
 
以上、新年度の自分に向けて書いてます。今年の僕はやるよ〜〜
てヒトリゴトに付き合わせてどーする笑
みんな、一緒にがんばろうねーー
 
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『覚醒せよ、わが身体。〜トライアスリートのエスノグラフィー』

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