IOCとは、秋元康、のようなものだろう
レスリング除外問題、一部日本人はオリンピックを勘違いしてる気がする。
'64東京の、高いとこに君臨してる神聖で立派で公明正大なNPO/NGO組織イメージが強いんだろう。だから、テコンドーが残るのに不透明だ、とか戸惑ったりするんじゃないか。
むしろ「AKB」だと見るべきだろう。娯楽ビジネスのプロモーターなのだ。
各競技団体を競わせ、強いのから1軍に昇格させて、全体の売上を最大化する。
ブランド維持は最上位命題なので、自転車のように売上トップクラスでもスキャンダル体質が露呈すれば、降格ブラフもかます(=実際には欧・米とも人気なので降格はありえない)
降格争いに伝統のレスリングを加えれば、ボーダー層が必死になるので、さらに売上拡大するだろう。新規参入組は新しく柔らかな発想を持ち込むからね。
トライアスロン子会社さんは、その成功例だろう。「超長距離デュアスロンから中距離アクアスロンへの業態転換」を狙った新規事業がヒットし、昇格を果たした。
226kmのアイアンは水泳を前座に、自転車単独走180kmとフルマラソンの強者を決める、強くて耐える者が勝つレース。オリンピック向け新商品では、水泳1.5kmがレース内予選で、そのトップ集団の中で10km走する競技。集団走での自転車は、水泳の第2グループ対象の敗者復活戦だ。自転車ロードレースのような展開と駆け引きに左右される。自転車の重要度が最も低いのでバランスも取れてる?(その結果、水泳の派生競技みたいになったので、水泳界とトライアスロン界が合併すると日本のトライアスロンはもっと強くなるだろう)
では、レスリングは、社会の何を変えたのか?「強豪選手の親が子供を英才教育してメダルを狙う狭い競技」になっているんじゃないのか?というツッコミにレスリング界は答えるべきだろう。
というと、西欧貴族しかしない近代五種は?って話が出るけど、オリンピックの創始者=大株主は西欧貴族なんだから、外したらご先祖様に申し訳がたたない。どんなに少数でも、創業一族が含まれるのならば「聖域」であり続ける。それが統治原則というものだ。文句があるなら、第二オリンピックを自分で作ればいいだけの話。
すると、マイナー格闘技であるテコンドーとレスリングとで、スポンサーやTV契約の獲得力を競うは当然。サムソンとか韓国企業の支援も評価されて当然。「不透明だ」と批判するのは、発想が1964年から半世紀にわたり進化していない(もしくは、1964年時点で見えていなかった、ということだ)
この間の大きな変化とは「スポーツだけやってれば良かった」時代が終わった、ということではないだろうか。昔のスポーツ選手は、それだけやってれば企業が抱えてくれた。今は仮にオリンピックでメダルまで獲っても、自力で生き抜くための戦略が必要になっている。それは選手個人だけではなく、競技そのものも同様なのだ。
まIOCの本音は、単なる「グレコローマン」外し、その駆け引きのカードのような気もするが・・・
2020の招致も、昔ねずみ遊園地を千葉に誘致したようなもんだと思えばすっきりするのではないかな? サヨク系の方は、興行ビジネスの公的支援を嫌がるだろうけど、「千葉ねずみ遊園地」さんは、確実に日本経済を活性化させたし、千葉県と浦安市とを豊かにした。それも公の大事な仕事だと僕は思う。この点への異論は理解するけど。
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