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2007年8月の3件の記事

2007年8月19日 (日)

北軽井沢自転車騒動×2連発

日本列島を40度の猛暑が襲う中、標高1200mで爽やかに1週間。
自転車配送はグッドアイデアで、体重乗せてぺダルを踏み込んだ瞬間の加速力、さりながらの安定感は、浅間山麓の自然を体感するにふさわしい。

それだけではなかった。

♪♪♪ 行きはよいよい 帰りは怖い ♪♪♪ 
あの名曲も体感したのであった。

出発の朝、解体に手間取り、格納に手間取り・・・
(先に調べとけ)
その分、駅に返しに行くレンタカーが渋滞につかまり、危うく両親を指定の電車に遅らせそうになる!


翌日、自宅のママチャリのカギを外しに行く。
いつも使っていたカギを山に持ってくために、自転車付属の古いカギを試してみたら、挿すほうのカギがないことが判明した。そして〆るほうのカギがかかってしまっていたのだった!

午前に2時間近く運動したあと、夕方、最寄の自転車店まで1200m、重量16.5kgの鉄製自転車を持ち上げて行く。

途中、3歳くらいの男の子に、
「あれえ? 自転車なのに持って歩いてる?」
と突っ込まれる。

「買ったときにいっぱいついてるでしょ?」
と、カギじゃらじゃら、の身振りをしてみせる、鋭い子供である。
そう、普通3つくらいついている。
普通でないことも、世の中、起きるのだよ、キミもいつか知る日が来るだろう。

「わかった、この穴(=側溝の網)に落ちちゃったんだ!」
と、最後は子供らしい一言に安心した。
そこから1km、たどり着きましたよ。

もちろん、確認の電話を、事前に、

していない。

1店目、夏休み。

2店目がみつかった。

「防犯登録証が必要です。あるでしょ?」
といわれ、ある気がして、素直に取りに戻る。
(ないって即答しとけ)

戻った我が部屋は想像以上の混乱状態にあった。

・・・なかったです、と戻る。
交番からお巡りさんを呼んで承認を得て、カギ外しを達成した。

この間、2時間。
自転車持ち上げ1.5km+ラン2.5km。
それくらい普通な体力を付けれたのは、山中に自転車を持ち込んだ成果でもある。

・・・

全ては、確認をはっしょったことから生じたのであった。

この程度で済んで良かった、ということにしておこう。
「予防接種がちょっと痛かった」 と。

ただ普通、注射針は2度刺さないが。

2007年8月11日 (土)

スピードを出すのは、自分ではなく、状況なんだ。

今日から1週間、北軽井沢。

Specializedのクロスバイクを注文し、滞在先に配送してある。
"Innovate or Die" (革新か死か)を社是に、MTBやクロスバイクなどの新市場を創造してきたアメリカのすごい会社。2007年モデルは国内では売り切れ続出、選択肢が限られた。
最新モデルこそはいち早く、グレードを上げて・・・

おっと、無駄使い注意!

まあ、このように一度すごいイメージがつけば、自分もそれと一体になれる気がしてくる。
高くても気持ちよく買ってしまう。

そんなかっこいい道具を、自分も届けていきたいものだ。

高原を走りながら、この3ヶ月間の記憶のクリーンアップをしてこよう。

「毎週バージョンアップする組織」 
を実感しながら突っ走ってきた3ヶ月間。

もっといえば、そんな2年間。
「4倍速の成長」を標榜するスピードベンチャーでショックを受けて以来だ。

ただ振り返ると、前のスピードベンチャーでも、スピードスピード、といっていた頃は、周りがついてこない場面も多かった。
紆余曲折を経て、創業の初心に立ち返ること、その理念を行動基準にすることで初めて、周り(社員も、顧客も)がまとまっていった。
ただし、行動のスピードは、決して落としてはいない。

つまり、スピードを第一基準に置いてはいけない、ということだ。
結果としてついてくるものにすぎない。

ただ私には、前職前半の感覚がより強いようで、そこは注意。

・・・

では次の第一基準は何か?

それは、つながり、と設定しよう。

誰かにとってすごく必要なものがある。
別の誰かが、それを持っている。
それを、つなぐ。

すごく必要な人がたくさんいれば、その流れは太く、速くなる。
結果的に、スピードが出る。

視点を変えてみよう。
スピードを出すのは、自分ではない。
状況なんだ。



2007年8月 5日 (日)

ツヴァイ創業者 太田栄之さんのお話 ~ 10年かけて実現した初心

普通に15-6時間会社にいる、ある意味、忙しい日々が続く。
その時間分の手応えもすぐに返ってくる、ある意味、楽な日々も続く。

んな中で、有象無象な結婚相談所の中でワン&オンリーな地位を守る『ツヴァイ』の創業メンバー、太田栄之さんの話を聞きに行く。高校OB会主催の、こじんまりとした会だ。

・・・
1984年、オイルショックを抜けて世界的企業への成長してゆく財閥系一流重厚長大メーカーの企画課長。

44歳の太田さん。
一見、満ち足りたエリート街道だ。
しかしそんな中
「新しいことをしたい!」
という強烈な枯渇感に襲われていたという。

そんなとき、ドイツ人の心理学者(結婚学者?)が、ジャスコの岡田会長を訪ね、結婚紹介所のビジネスモデルを紹介する。

もしそれがダイエーの中内だったら、手は出したかもしれないが、失敗もしたかもしれない。本人は天才だが、自分の才能を一歩超えたところでは無力な人、いいかえれば、他人を育てられない人だからだ。
ヨーカドーの伊藤だったら、そもそも手を出さないだろう。小売だけに愚直に集中し続けることで成功をもぎ取った、店舗販売の職人だからだ。
岡田という、社会全体を見渡すセンスを持った天才商人だったからこそ、このストーリーは始まったのかもしれない。

その経営者として、太田栄之に白羽の矢があたる。(形式上、社長はジャスコ社員が担当)
条件は、3年以内の黒字化。

「ドイツのように広告だけ出しても、日本人はついてこない」
「日本で成功するカギは、大手企業の人事部、労働組合の中に入り込むことだ」
直感したという。

しかし、それまでの日本に、ああいうタイプの商売なんてない。
まさにイノベーションだ。
大組織の、しかも人事に、浸透はしない。
もちろん、新聞広告だってあたらない。
初年度、2億の赤字。

あれこれ模索する中、おなじみの、本屋の紙袋全てにハガキを封入する、という広告が大当たり。
紙袋を製造する工場の段階で自動封入する仕組みなのだそうだ。
3年という期限の最終月、初めて期間黒字を達成する。

が、広告の効果はすぐに落ちる。
あれこれ模索を続ける日々が続く。。

そして創業から10年後。
大蔵省(を皮切りにその他官庁)、トヨタ、松下、SONY・・・ 
広告に社名掲載OK, という法人顧客が続々と表れる。
これを機に、女性会員が激増。

その後もトラブルは続くが、2004年、結婚紹介所として初の株式公開を実現。
4億円の投資が、100億円の時価総額として戻ってくる。
その大部分はジャスコだが、それだけでも、なかった。

・・・
太田栄之さんの語りは、ある意味、地味だった。
しかしその声、一言一言から、大きなものを達成し終えた充実感が伝わってくる。

運と追い風は、たしかに、あっただろう。
しかしそれだけの成功ではない。

日々の仕事に追われる中で、大きなビジョンを描き、10年かけて実現していったその過程が、自然にそうさせるのだろうか。

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