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2007年5月の5件の記事

2007年5月27日 (日)

いろんな仕事をすごい速さで進める人は、何が違うのか?

いろんな仕事をすごい速さで進める人は、何が違うのか?
創業メンバーを見ていて、感じた疑問。

「イメージ力」がその答ではないか?
と感じた、あらたなルー会社2週目の記録です。

・・・
まずは作業報告。

売れる仕組みを作る、とは
「誰に」
「どんなメッセージを」
「どうやって届けるのか」
を決めることから。

そのためのプランの絞り込み、特に、「誰に」 を具体化するためにExcelの顧客名簿の切り貼り作業を進める。

第3週は早速テスト的に届け始めたい。
(今週それをやってもよかったかも?)

入社時に想定した初期プランを実行して結果を見るのに、入社4週間あれば十分だろう。
そして次の3週間で、修正+本格に向けた準備+先行実行までできる。
=この時点で2007年の前半終了。

この実行サイクル、つまり「仮説の設定・検証・修正」をいかに早く回せるか?
それが企画系の仕事の成果に大きく影響する。

早さを決めるのは、実行のカタマリをどこまで小さく切り出せるのか、にかかっている。
小さく、かつ、次につながるような、ミニチュアなプランを見出せるかどうか。

どうすればできる?
そのヒントは、創業メンバーから感じたことの中にあるかもしれない。
それは
1.「どうしたい」というイメージが明確。経営会議の方針、議事録などから、よくわかる。
2.行動の修正が速い。

「あるべき姿」を、いろいろな面でイメージできていれば、いろいろな仕事で、割と的確な方針を出せる。
(正しい方針、など人間に出せるわけがない)
そして、その修正も速い。
失敗は、単なる失敗ではなく、次の展開のための1つの実験結果にすぎなくなる。

そう考えると、「実現すべき姿をイメージする力」 とは、ビジネスの根源的な能力の1つだということになる。

この会社の強みの1つは、そのイメージが明確であること。
創業から数年間成長を続け、同時に、成長を制約するものも感じ続けてきたであろう創業メンバーならではの、経験がもたらした力なのだろう。

その集団に新たに参加する僕にとって、そのイメージのズレをなくしていくことは、当面の重要テーマになるだろう。

・・・

またタイ旅行記が書けない!

2007年5月20日 (日)

初出社の週に感じたこと

新たなる地へ降り立つ。

・・・ヘロヘロな感じのままで。

最初に入社書類記入。
「給与支払者」欄に自分の名前を大書・・・(殊勝な社員だ)
次にオフィスで自己紹介。
自分が何を言っているのか・・・は、辛うじてわかったくらい。

私はヘロヘロだが、オフィス内は明るく、元気で、前向きなエネルギーに満ちている。一言で言えば、良い真面目さに充ちている気がする。

その後、社内資料にバサバサ目を通す。
入社前に話し合って想像してきた状況と、ほぼ同じ感じ。

熱は出社日に引き、ちょっとした時差ボケ感だけが残る。(寝すぎたせい)

自分なりに、これからやるとよさそうなことをまとめてみる。
そして部門のメンバーとアイデア出しの会を開く。
それぞれ感じている課題と期待とを直接確認し、さらにプランをまとめる。

あと、歓迎会。
(私の立場から正確に表現するならば「歓迎されちゃう会」である)
一本締めを担当したところ、私の一本締め史上空前の盛り上がりを見せる結果となった。
飲みすぎ、数年ぶりに帰宅電車を乗り過ごす。。。

ここまでで1週間。
スタート悪くないかも。
入社前日に寝込んだおかげでリフレッシュできたから?

・・・

この会社の強みは商品の設計力+改善力、だといえるだろう。
でももっと大きいのは、人を引き付ける魅力、かもしれない。
(私が入ったくらいだからね)
組織設計もしっかりしていて、多分この種の会社には珍しいほどに、裏の開発体制などに人手をかけている。

あとは、人材育成とマーケティングの動き次第で、まだまだ伸びる気がする。

人材育成のデキに大きく影響するもの。
それは、組織の文化。
たとえば、「社員が2人以上集まった時に自然にうまれる空気感」 のようなもの。

それがある会社だと感じる。

なぜだろう?

1つには、 人を育てる、という仕事にほぼ集中してきたせいもあるかもしれない。
初対面の他人に向き合い、制約の中で、前向きなエネルギーを与える。
相手の中でそれぞれに、そのエネルギーが定着してゆく。
そして、次の仕事につながる。

その繰り返しの中で成長してきた会社であるならば、組織の文化がそうなるのは、ごくごく自然なことだ。

マーケティングも、おおざっぱに言えば、同じことだ。

・・・
こうゆう精神世界が見えるようになってしまった(気がする)のが、前の会社のすごい影響力。かなりタフな状況があるようだけど、あの会社ならなんとかしちゃうだろう。

タイ旅行記はのちほど!

 

2007年5月15日 (火)

日本がエキゾチック過ぎてダウン!!

ちょっと違う外敵に遭遇してしまうのも、旅の特徴である。

滞在中、軽くあった食あたりが、日本到着の翌朝から大復活を遂げ、本日、数年ぶりの38度台の発熱でダウン!

昨日、油断して体を冷やしたりしてしまったからかな?
向こうでよかったからといって安心しちゃいけない。

食あたりといっても、おなかが苦しいわけでもなく、ただ熱が出て、外に出てみるとふらふらするだけ。抗生物質などを飲み、ひたすら暖め、寝続けて、解熱剤は使わずに37度台まで落とす。

1日中、ただただ寝続けるだけ、というのはちょっとした幸せ。

 → 翌朝は、かなり気持ちいい!(熱はまだ少しあるが)

まあ、たまにはこうゆう日はあった方が良いのかもしれない?

2007年5月13日 (日)

日本ってエキゾチックな国だ!

ジャパ~ン!
今朝タイから日本に「進出」です!!
戻る、なんて進歩の無いことは言わないのさ!!!

日本に来て気づいたこと・・・

空港は隅々までキチンとしている。
私の出身地であるタイでは、新空港完成まもなく、広くゴージャスで清掃も行き届いてはいるが、照明が暗すぎたりちょっと寒い箇所、おいてあるだけの最新大画面TV、などなど、隅のほうが手薄になるのは当たり前だと思うのだが・・・

税関を出た後に客引きがいない。タイでは、出た瞬間から5Mごとにつかまり、「アナタ、ドコイキマスカ?」と5Mくらいついてこられる。

空港からトーキョーへの電車から広がる田園風景はタイと割と似ているが、淡い中間色がさまざまに入り乱れて、繊細な印象だ。タイだと緑、褐色の土、時々赤い花、濃い原色ばかりだ。
あと、錆びたトタンを組み立てた家がなくて、ちゃんと建てた家ばっかりだ。みんなお金持ちなんだなあ。

自動車が新車ばっかりだ。車は一生モノの資産・設備ではなくて、流行で買い換えるものらしい。しかも、車体に大きく書くはずの「TOYOTA」「NISSAN」などの文字がぜんぜん無い。

信号では誰もレースをしない。並んだ順番通りに縦列で進んでいる。

いやー、日本ってエキゾチックな国だ!

・・・ と、当たり前な日常をちょっと違う視点で見れるのが、旅というものの特徴。

2007年5月 1日 (火)

モナリザの模写を許されたのはシャガールとこの人、斎藤吾朗だけ!

実家に1週間こもり、ずっと放置してきたもろもろを片付け中。

昨日、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザの模写を、シャガール以来50年ぶりに許された世界的にも超レアな画家、斎藤吾朗さんのミニ展覧会を見てくる。会場はのどかな茶畑の中、小さな日本茶屋さんの2階。

 

モナリザは世界の宝。
模写などもってのほかである。
20世紀以降、超例外的に許されたのが、教科書にも載っているあのシャガールと、1973年にルーブルに押しかけた26歳の日本人ヒッピー、2人しかいないのだ。

その際のエピソードをうかがう。

・・・

美大を出て、愛知県西尾市の県立高校で美術教師を務めていたころ。

「生徒が空を飛びたい、と言うもんだから」

と、10mの大凧に生徒を縛り、飛ばす。

少し飛んだ

で、もちろん、落ちる

その何人かが、失神したりする。

その他、アバンギャルドな行動の数々により、2年でクビ。

 

どうしようか?

と思いついたのが、
「モナリザの模写をしてこよう」
1973年、とりあえずフランスへ。
海外渡航がバカ高かったころ、生徒もカンパしてくれて、なんとか行けた。

もちろんアポ無し。
毎日、ルーブルに通い、座り込む。
辞書のページをめくりながら交渉。といっても相手のフランス語は全くわからないので、どれだけ断られようともそれに気づくことはなく、ひたすら頼み続ける。

「生徒がカンパしてくれたから黙って帰れない」

「ジャポンの貧しい田舎では年老いた病気の母が寝込んでいて、息子のモナリザを待っている」

「ニホンジンだから約束を守れないとこの場で
ハラキリをしないといけない」

「ムッシュー、ルーブル広場を血で染めてみないか?

 

・・・
2週間、一方的に表現をエスカレートし続けたある日、館長が顔を出し、OKが出る。

斎藤吾朗いわく。
「勝因は、英語でなくフランス語で交渉したこと、何よりも、ハラキリ、が効いた」
「フランス人は本当に私がハラキリをルーブル広場ですると信じたみたいだった」

 

ん?

 

以降はVIP待遇。
フリーパスをもらい、館員用の出入り口から入り、開館前から模写を続け、3ヶ月で描き上げる。

それ以降、ルーブルにモナリザ模写の依頼は殺到しているそうだが、すべて断っているとのこと。
それほど貴重な模写なのだ。

なにしろ「正式に模写されたモナリザ」である。
万一モナリザに事故があったときには、西尾のアトリエから、このときのモナリザがルーブルに召還される契約もしているそうだ。

だからルーブルは逆に Goro Saitoh を大切にしなければならない!
例えばそのフリーパスは未だに有効で、しかも、休館日に斉藤吾郎氏を囲んだJTBのツアーだけは1日中、見学できたりもする!


彼は模写を続ける中、このとき、ダ・ヴィンチが語りかけてくる思いをしたという。

「モナリザは、私(ダ・ヴィンチ)のふるさとの、
あるがまま、を描いただけ。
あなたも、身近な、あるがままを描けばいい。」

以降、地元西尾の火祭りとか、身近なものを描いている。
身近、といっても、奈良東大寺のお水取りを、二月堂の中に入り込んで描いていたりする。この突進力、アポ取り力は相変わらずのようだ。。。

いまだに、こんなニュースを提供していたり・・・ https://masujiro.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_f043.html

 

独特の赤ベースの油絵。
肝心の絵の画像がないのが残念。カメラを忘れた。


ともかく、70年代のヒッピー時代を象徴するような、凄いエピソードなのである。
生徒を凧で飛ばして失神させてクビで済んだ、最後の時代であることは間違いない!

世の中すごい人がいる!

・・・

ちなみに、当時のルーブルをまだ幼かった益次郎一家が訪ねており、母親が、モナリザの前で模写をする変なニホンジンの若者がいたことを記憶していたりもするのである。

 

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