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2006年11月の4件の記事

2006年11月19日 (日)

最重要なのは、抽象論に裏打ちされた具体例の蓄積。

日曜に修理に出したVAIOが水曜に戻ってきた(今日受け取り)
この速さに、二度とソニーを買わない気持ちが、少しだけ和らぐ。
ものづくりはヘタだが商売はうまい●●●●

・・・さて。

この間、実施3週間前というありえないスケジュールで有料セミナーを企画。FAX-DM開始から1週間でほぼ満席、と、集客もありえない感じ。

ターゲットの業界は今、サラ金の次に、我が国政府に目を付けられはじめた感じ。儲けを明け渡す相手が、既存の大手銀行か、将来の国策か、が違う。

こんな危機の訪れた業界には、ホンモノの救世主が必要なのである。
我が社にその期待が集まっているのを、実感する。
本当にそうなるのかは、歴史が証明するだろう。

・・・

調査レポートの現場向け報告会も実施。
レポート自体はOKな感じだが、ディスカッションの盛り上がりはイマイチ。
ちょっと先方のトップに助けられた。

経営トップと現場とでは、関心事、思考法などが少し違う。
やはり、現場に合わせた手法を磨く必要がある。
最重要なのは、抽象論に裏打ちされた具体例の蓄積。
今回得られた、貴重な課題だ。

最終的に、現場を変えてみせるのが我々の価値。

2006年11月 6日 (月)

教育Ⅳ 教育ニーズも『訊き出す』?

レポートようやく完成。

人に関わる調査(って文系ビジネスの仕事は結局これだけだよね)を効率的に行うには、『訊く』 に限る。

レポートの柱は、顧客調査では店頭で訊き出した情報、社員調査ではフリーコメント。ここから、データには表れてこない情報が見えてくる。

これをもとに、まずアクションプランを書き出す。
いわば、『最初にゴールを通過しておく』 わけだ。

このプランを、マーケティングなり組織心理の理論で解説する。
理論はこんなハクづけのためにある。
(逆にいえばアクションプランを作れない理論に価値は無い)

これだけで『価格を超える価値』を出せる。

最後にデータと付き合わせる。データの解釈なんて幾らでもできる。データ処理はネットで探した業者に外注するので手間もかからない。

・・・

1年前の私は、入口から入ってしまっていた。
データ処理→ 個々の分析→ 全体分析→ アクションプラン・・・ と順に進めてしまう。
これでは労多くして、価格に見合う価値が出なかったりするもんだ。

クレージーなスピードで普通に仕事が進むベンチャーではじめて気づいたことだ (って、難癖つけたりやり過ごしたりして遅らせる事が多い私。。)

何でもそう。まずゴールから逆算して、仕事を設計することだ。言うほど簡単ではないけど。

・・・

このセオリーを、教育に強引にあてはめてみよう・・・

生徒のニーズも、訊いてみてはどうだろうか?

これが、組織内のメンバー(=先生方)にとって最高の『ゴールイメージ』になる。
顧客(=親子)にとっては『成功事例』となる。

たとえば目的が生徒獲得だとする。

「あんな先輩みたいになりたい」
という憧れの対象になりそうな卒業生を探す。
そして、学生時代のいろいろなエピソードを訊き出す。
おいしいコメントを、本人の笑顔アップとともにドーンとサイトにのっける。
(名前は匿名でいい。検索エンジンにかかっちゃうとややこしいことも)

受験生(かその親)に 「あんな先輩みたいになりたい」と思わせれば、勝ち。

学校のアピールポイントは、世間の評価だけじゃないんだ。

他にもね。(続く)

2006年11月 4日 (土)

教育Ⅲ 夜回り先生

教育シリーズの続き。

結局、人を育てるのは一人の人でしかない。

改めてそう思わせる、「夜回り先生」こと水谷修の講演をNHKで再放送していた。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
シンプルな作りだけど、凄い名作だと思う。
DVDも出てる

水谷修は、この世の果ての崖っぷちを今にも転げ落ちようとしている人たちを相手に、徹底的にその存在を認める。「リストカットは君の心の叫びなんだ。隠しちゃだめだ」 と。

徹底、とはこうゆうことだ。
凡人にできるレベルではない。

見ていて凄く重い。
見るだけで重いのだから、本人が浴びている崖っぷちのエネルギーはどれだけのものか・・・ 有名なベストセラーの出版後、体の負荷は相当高いようだ。リンパ腫で、もうメールも返せないようだ。
(複数の出版社が特設サイトを作っていた。こうゆうマーケティングもあるなあ)

一人が、人の可能性を引き出すことで、一人を育てる。
人の集団が育つのは、この積み重ねでしかない。

・・・
マネジメントの役割とは、そんな現場の個人の力、人と人とがつながってゆく動きを、組織全体に拡げること。
そのために、共有できる何か、理念、合理的な希望、成功体験、のようなものを設定することからはじめるわけだ。

教育再生会議に、それができるかを、僕は見守ってます。

2006年11月 3日 (金)

教育Ⅱ 競争が悪いわけじゃなく

連休は調査レポートの仕上げ。諸事情により非効率な作業を強いられたが、振り返ればもっと手を抜けたポイントはあったなあ。
いかに手を抜くか。どこに絞るか。周囲をどうコントロールするか。この1年の大きな課題。

・・・
さて、前回の続き。
ポイントは

日本は『競争に乗れるという権利を持つ人』の割合が多く、その成果を享受してきた。競争に弊害があるなら、どうカバーするかを別のテーマとして対応すればいい。

ということ。それを改めて実感したのが、

いじめ自殺についての日経BPサイトの宋文洲さんのコラム:http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061031/112784/
つまりは、いじめという「原因」から、自殺という深刻な「結果」に至ってしまうのは、その間、逃げることができない、受け止めてしまう、周りの空気の問題だ、ということ。

周囲との調和を重視する。今いる場所で努力し我慢することを美徳とする。
これは、日本社会の特徴であり、強みの1つだろう。

しかし、いじめでは、いじめる側にある種の正当化する心理をうえつけたり、いじめられる側にまともに受け止めさせたり、弱みとしての部分も出てくる。

いきなり周囲を変えようとすることは、現実的ではない。
まず、自分が変わることだ。
自分が変われば、いつか周囲は変わる(鏡の法則)

そして、もしそんな環境に陥ってしまったとき、確実にできることは、自分の受け止め方を変えるということ。

競争も、同じだと思う。

ある部分の競争をなくせば、別のひずみが必ず出る。
問題の本質は、その受け止め方にある。

・・・
それにしても、宋さんのコラム、1日ちょっとでコメントが169件(今時点)、反響がすごい。宋さんの真摯な姿勢が共感を産んでいるのだろう。

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