NHKドラマ「ハゲタカ」の再々放送が始まった。
前半は見てなかったし、録画するぞ! と意気込んだその前日、1年前買ったSHARPハイビジョンレコーダーが故障・・・ この暑さのせいか、ハードディスクが変な音を立てて、1分ごとに勝手に電源オンオフを繰り返している。
機械が壊れるのは当たり前なんだが、しかし最近のデジタル製品は、ブランド力と安定性が一致してくれない。
昔のアナログ家電って壊れなかったよなあ。
かまわない!
ハイテクには頼らない!
自分の目で見届ける、一期一会!
と、はじめて初回を見る。
「腐った日本を買い叩く」 という鷲津の姿が、
「日本の投資家を教育する」 という本物のハゲタカファンド、スティール・パートナーズの代表に、重なる。
彼ら、「ハゲタカ」の第一回だけを見てしまったのだろうか?
例えば原作の真山仁氏などに指導を仰いで、ニホンジンに共感を与えるようなストーリー展開をまじめに考え抜いてメディア戦略をたてていれば、もう少し楽に仕事できていた気がする (のは、私テレビの見過ぎ?)
そして、改めて気づいたこのドラマの特徴。
激しい感情をぶつけあっている。
ドライな資本の論理や成果主義に取り込まれているのが、今の日本。
それはある程度、グローバルな避けがたい流れではあるが、
クール過ぎ、ドライ過ぎな面もある。
そうじゃないよね。
という世の中のもやもや感に対して「ハゲタカ」は、激しい感情を立て続けにぶつけてゆく。
これ、ビリー隊長と同じ流れかもしれない。
やせたいなら、汗を流せ。
「納豆でやせる」とかをクーラーの効いた部屋で鑑賞する小理屈の時代は終わり、
ちょっとハードな、優しいけど甘くないものを、日本は求めている。
・・・
8/22追記。
第4回の迫力!!!!!!!!!
こんなにも濃厚な60分間が、TVにできるんだ。
「かなりよくできたドラマ」が、ここから「特別な何か」に生まれ変わりつつあるようだ。
大木を目の当たりにした鷲津が、その最後に触れた柴野が、その瞬間に変わっている。
(初回放映では、第3回の最後のほう、鷲津がバーで逆戦闘モードに落ちているあたりから見たので、気づかなかった)
こんなにも良いものは、やはりプレミアなままであってほしい。
大衆品に成り下がっていないことは、僕は嬉しい。
・・・
8/23 第5回の追記!
全体の流れを振り返ると、
前半まで、要は雑魚を売り買いするマネーゲームに(ある想いは秘めつつも)興じていた鷲津が、
第4回で、戦後ニッポンの象徴、というあまりにも大きな相手と対峙するに至る。
第4回で一気に上がった緊張感は、そのせいでもある。
(大森南朋にとっての菅原文太も、そんな大きな相手だろうし)
そして第5回。
表向き明らかにホリエモンをイメージさせて最終回につなぐ、ラス前な役割を担っているわけだが
「カネのある悲劇」という、冒頭のキャッチフレーズを、自殺などのストレートな表現に頼ることなく鮮烈に描いた回でもある。
そしてそれゆえに、最終回へつなぐ、という役割を完璧に果たしているわけだ。
たとえるならば、松阪の後ですーっと登場する岡島のような回である。(ん?)
あるいは、夜明け前が一番暗い、ってやつだ。
スティール・パートナーズにとっての「鏡」でもあるだろうか。
・・・
最終回!
ラスト、原点に戻った、わけだ。
「ようやく御報告できそうです、あれからの私を」
この一言のための10年間。
かっこいいなあ。
かっこよくありたいよね。