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2017年2月の1件の記事

2017年2月 5日 (日)

フルマラソンでは堂々と歩け! 〜ある"ガラパゴス記事"へのツッコミ

※おことわり: 標題「ガラパゴス」とは、日本独自の発展を遂げたという意味であって、それ以上でもそれ以下でもございません。ちなみに僕はガラパゴス携帯の愛用者です。
※なお問題は雑誌自体ではなく特集記事なのでタイトル文言を変えました。批評は人格ではなく個々の行為に対するもの。
 
こちら人気ランニング雑誌の最新号特集: "フルマラソンは「最後まで歩かない」がホントの完走!"
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悪い予感は図書館で確認、的中した。"フルマラソンは歩いたら負け、痛みに耐えて走りきれ!"  てトーンの内容だ。これは危険であるのみならず、(日本以外の)世界では普通な技法「ラン&ウォーク」もしくは「ウォークブレイク」を、人気競技誌の編集部が知らないってことではないだろうか。 全6ページでの実質3つの記事ではあるが、誰もが目にする巻頭特集。"日本語の壁"が作り出したガラパゴス状況でなかろうか?
 
 
<歩いていい、ただし日本以外では> 
レース途中で歩くのは、名著『ギャロウェイのランニングブック』で、英語圏では1984年から説かれ、2002年の改訂版ではさらに重視されて、その日本語訳も2015年5月に出版された。日本人コーチが同様のことを書いた本も幾つもある。
トライアスロンでも、大御所Joe Friel先生もTwitterやブログで推奨しているし、他の記事でもよく見かける。少なくとも英語圏では常識といっていい。アイアンマン世界選手権KONA2015でも、圧勝したフロデノはランのエイドで歩いていた。フロデノはハワイの酷暑下で確実に身体を冷やしたいという理由で、毎回歩いているわけではないようだが、この根拠があったから歩けたといえる。
 
途中で歩くことのメリットは、こちら過去記事2つご参照:
エイドだけでも歩いて確実に補給しながら、筋肉をリラックス&リセットするのは、完走目的の初心者にこそ試してほしい方法だ。同時に、エイドの方にお礼を言うことも(やろうと思えば)でき、励ましの言葉も頂けたりもする。こうすることで精神的にもリラックスし、エネルギーをもらうことができる。
 
こうして心身と対話しながら余裕を持って進むことで、故障リスクを減らしながら、身体のポテンシャルを最大限に引き出すことができるだろう。
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<知ってて選んだのか、ただ知らないだけのか> 
念のため、個々人がこうした情報を踏まえつつも、「自分は最後まで歩かない」と決意し、レースで実行するのは、立派なことだ。自分自身で目標を決めて、達成することで、自分だけの勝利を得ることができる。それが市民耐久スポーツの魅力。
あるいは、一定スピードを維持した方が楽だという場合もある。特に2時間台のどこかで勝負しているレベルではこのタイプが多いだろう。たしか宮古島トライアスロン2016で二連覇の戸原選手は、蒸し暑さの中で確実にエイドを取ることを重視して歩きを入れていたけど、ちょっとリズムが崩れがちになると言っていた。こうゆうのは個々の、場面ごとの選択だ。
 
でもこっちは、不特定多数に向けた人気メディアでの特集だ。主要な選択肢は提示した上で、「それでも歩かないと、楽しみが深まるよ」という提案型アプローチなら構わない。しかしこの特集は、「他に選択肢のない絶対正義」という前提で書かれている。無知と精神論の融合であるのなら、なおさらタチが悪い。
 
この雑誌は、もっぱらカジュアル&ファンランナーが読者層かと思う。より速さを求め始めると、より理論を重視した別の人気雑誌などに行くと思う。こうした分担は良いことで、入門層に対して適切なガイドをするメディアの役割は大事だ。ここに優劣はない。
問題は、こうした初中級者層がこの根性我慢系アプローチをすると、故障確率が確実に上がることだ。頭で考えたことに身体の感覚を服従させるということであり、いわば "現場を無視した会議室の決定" になりかねない。
 
 
<ランニングの精神論> 
「キツい努力が報わることが多い」のは、耐久スポーツの1つの真実であり、また魅力でもある。なんらか精神的なものをそこに求めること自体は、よいことだ。正しい情報の中から選択されたものであるかぎりは。
ただし、「キツくすることで(安易に)達成感も高めることができる」という側面もあり、そこにハマると、怪我故障のリスクを大幅に高める。そのリスクが現実化するまでアクセルを踏みがちなので、発生確率はかなり高いのではないだろうか。もしくは精神的バーンアウトか。
 
伝統ランニング界は、こうした競技自体と関係ない部分での「こうあるべきだ」という教条的な縛りが強いように感じる。それは箱根駅伝にも表れていて、水の補給は1997年、スポーツドリンクは2016年にようやく提供が認められた。水からスポーツドリンクまで20年を要する謎の組織文化。年長世代の価値観を継承することを目的とした、ある種の宗教的情熱の産物だろうか?
同じランニングでも、新興のウルトラやトレイルはより自由だ。トライアスロンも同じく。これらは1970年代の自由な雰囲気の中で生まれ育った競技。コース設定がキツいこともあり、レース途中で歩くのも当然の戦術だ。なぜ42kmレースではそうではないのか? という説明は、歩かないことを呼びかける以上は必要だと思うのだが。その検討をしなくて済むほど、フルマラソン界の教条は強いということだろうか。
 
マラソン中心のランナー達にも、歩くという方法論を知った上で、それでも 「意地でも歩かない」という方は多いようだ。それは個々の自由なのは、先に書いた通りなんだけど。ただ、「ウォークブレイク党員」が「絶対歩かない党員」たちを後半に抜いてくことは、しばしばfacebookで報告いただいている。
 
例: 歩く勇気。ハーフマラソンで5回歩いたけれど、自己ベストを出した話  ("情報活用・プログラミング教育研究所"ブログ, 2016.04)
 
この時、歩かない党の方々は「歩かなければ彼らもっと速いのに」くらいに誤解してるのではないだろうか? 知らないことには、何も始まらない。
 
僕にとって耐久スポーツにおける努力とは、「あらゆる手を尽くして、最も速くゴールすること」に尽きる。歩かないのも、歩くのも、幾つでもある勝利のための選択肢の1つにすぎない。それがトライアスロンの複雑性。
 
 
<悪例> 
こちら、せっかくスタッフさんが用意してくれた紙コップをなぎ倒す2012蒲郡大会のワタシ。。
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まあエイジ優勝をかけた(失敗したけど)ショートの10kmのランパートなんで、そうそう歩くわけにもいかないのだけど、すこし緩めるだけでも、こうした悪行は防げるのだ。
 
これはこれで、みんなが走っている中で一人だけ歩くわけにはいかない問題もあり、特に人数の多いマラソン大会では、みんなで一斉にでないと、逆に混乱を招いてしまう。
 
 
<良例>
僕のウォークブレイク事例を書くと、2016伊良湖トライアスロン、20kmランのうち平坦区間9kmの平均が1km4:30。途中4回のエイドを全て歩いて確実に身体を冷やした。黄色ラインが落ちてる部分だ。その部分を含む1kmラップの落ちは各回ともせいぜい数秒以内。
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それよりも、折り返し地点を間違えてもう一度戻ったことによるタイムロスが推定10秒〜15秒で大きかった。泣。全体ではかなり余裕あったので、ロングのランパートでのサブスリーにも十分対応するという印象だった。
 
 
<最後に>
日本のランナー達には広く知ってほしい。世界のランニング界では、途中で歩くことのほうが普通だということを。
それを踏まえつつも、歩かないことを選択し、実行しきるのは自分に勝つということ、素晴らしいことだ。自分の身体を痛めない範囲で、かつ他人にその価値観を押し付けるのでもなく、自分だけの勝利を目指してほしいと願う。
 

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