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2015年9月13日 (日)

「トライアスロンにおけるドラフティング問題」 竹内鉄平さんの決定版まとめと、僕の意見

竹内鉄平さんのブログ記事 『トライアスロンにおける「ドラフティング問題」について』 は、本件の現時点での決定版となるだろう。まずは以下リンク参照。長いが、ざっと目を通そう。
①歴史を紐解きながら、②ルールを解説し、③問題の核心である「グレーゾーン」に踏み込み、④どうすべきか示される。全くその通り。歴史はともかく、②以降はトライアスリートならば既に知っているべきであり、もしも「勉強になった」のならば、それはオノレの過去の不勉強を恥じていい。トライアスロンとは、このようにヤヤコシイ競技なのだ。
 
当ブログではこれら踏まえた上で、
  • トライアスロン・バイクの本質は「一騎打ち」である
  • 耐久アスリートとして「自分はどうありたいのか」という価値観について
  • お互い指摘し、文化を育ててゆくこと
  • テクノロジーの利用=動画撮影
と僕の意見を以下、書いてゆく。
 
<トライアスロン・バイクの本質は「一騎打ち」>
僕が強調したい1つは、②「ドラフティング禁止ルールを理解する」のこの箇所:
 
抜くときは15秒以内に一気に追い抜く。15秒以内に追い抜けなかった場合は、一旦加速をやめて、ドラフトゾーンの外に出る。逆に追い越されてしまった場合は、加速をやめて、先行者のドラフトゾーンから速やかにでなくてはいけません。ここを取り違えている選手が多いため、ドラフティングが起きるのだと自分は考えます。
 
これが意味するものとは、トライアスロン・バイクの本来的な在り方は「一騎打ち」であるということ。目の前の相手に勝つか、負けるか。オレはオマエより速いか遅いか。それをクリンチ禁止で行う。ボクシングではクリンチ=攻めてきた相手へ抱きつく防御法が認められてるけど、トライアスロンでは、そうではない。引き分けなし、決着はその場でつける。自転車の楽しみ方は人それぞれでいいのは当然だけど、トライアスロンのルールが定める競走のし方は、こうだってこと。
 
この「一騎打ち」が出来る条件とは、Swimをある程度上位で上がれて、Bikeで高い独走力があること。少なくとも国内レースでの現実としては。両方の合計点があるレベルを超えて始めて、その醍醐味を味わうことが出来る。これはSwimが本当は重要である大きな理由だと思っている。
 
実際、複数の有名大会でオートバイ・マーシャルをされる方もこう仰る:
 
「エイジ世界選手権の権利が取れるような上位レベルでは、それは見事にバラけてます」
 
ここには、「見られているという栄誉 or 抑止力」も作用する。あるレベル以上では、選手同士お互いを知っているから、 「今日のオレはオマエより強い!」というバトルが成立しやすい。またその他の選手からも観客からも見られているから、カッコつけるために、強さをアピールしたい。(※そうならない人も居る)
 
<しかし、ルールを守るだけではダメだ>
もう1つ重要なのは、ルールの範囲内でもグレーゾーンが出来てしまうこと。7m空ける。その中に15秒だけ入る。これ守りながらでも、トレイン=先頭交代を繰り返すことも可能だ(※レフェリーに悪質と判断されたら違反となりうる)。それが③「ルールとモラル」での議論だ。
 
このグレーゾーンを減らすため、世界の最先端はドラフティング・ゾーンを12mへと拡大してる。車間距離は5mから10mへ倍増。ただし、それが出来るコース幅、参加人数、レフェリー配置が必要で、それは国内では実際難しい。
ルールを理解し、守っても、出来てしまうグレーゾーン。そこでは、価値観の問題へ行き着く。耐久アスリートとして「自分はどうありたいのか」というこだわりだ。
 
たとえば競泳では、鈴木大地さんは「現状ルールの裏をかく」(※バサロ泳法は生命を危険にさらすので禁止されて当然)ことで今に至る地位がある。サッカー・ホッケー・水球などは、レフェリーが見てないところでは格闘技、ほぼなにやってもOK!て価値観があるだろう。
 
つまり、「ルール」の位置付けとは、「その分野での価値観」次第であって、社会一律で通用するような「正々堂々とルールを守って」と言って解決するものでもない。
 
「自分は耐久アスリートである」、ということの本質の1つは、「自分はどうありたいのか」というこだわり、ではないだろうか? 自分はなぜこの競技をしているのか? その原点へ立ち返った時に、どうなのか?ということ。
 
<価値観を育てよう>
自分はどうしたいのか、を決める。そんな個々の価値観が空気のように集まって、文化は出来あがる。みんなで育てるものなのだ。特に、トライアスロンやトレイルなど新興競技では「運営者と競技者は一体」という歴史的な成立過程がある。
 
だから「レフェリー取り締まれよ!」とだけ言うのは、トライアスリートにふさわしくないと思う。それは「お客様気分」の表れであり、「当事者」になれていないから。それは自分自身の役割。その場で、自分が、言うべきことだ。
 
ただ、文化だけの問題でもなく、たとえば、国内有名大会へ招待出場する外国人選手も、レフェリーが居ないとくっついて来る、なんて国内上位選手の内緒の証言があったりもする。だから、「仕組み」によって対応するのは、両輪として必要だ。
 
現に、世界選手権レベルでは「ルールの範囲内のグレーゾーン」削減へと動いているわけだ。ただ、車間5mを10mへ倍増するにはコース幅が必要だし、取り締まるマーシャルも十分配置する運営は高コストで、現実の国内レースでは難しい。だから、片輪だとしても、選手と観客も含めた個々が、当事者として文化を育ててゆく、という姿勢が求められるのだと思う。
 
<即効性を求めるなら、撮影する>
そして文化が育つのには時間がかかる。即効性を求めるなら、テクノロジーを活用する。カメラ装着・動画撮影・早回し公開。前方撮影なら「ワタシやってません」と証明でき、取り締まるなら後方撮影。
 
なお、Ironmanのルールではカメラは禁止。思うにIronmanは、聖地KONAがNBC独占放映権への価値を高めたい(=放映権料を釣り上げたい)、またマーシャルも多いから問題ない、などの背景がありそうだ。このKONAルールを予選にも拡げたんだろう。(ただアジア開催ではマーシャルが追いつかない)
 
最も問題になるのは国内レース、特にシード権がかかるがマーシャルが少ない(かつての)宮古100位前後だろうか。だから宮古は2015からシード廃止したのかな?  あと、練習中から動画撮影すれば、万が一の事故時の責任明確化も出来る。自動車にも付けておきたい。(5,000円のでちゃんと撮れるのかな??)
 
<付記>
僕だと、今回の伊良湖でも狭く密集したところで距離が詰まる局面も実際あったし、100%クリーンですと言うつもりもない=過去グレーゾーンには居たこともあるかなと思う。僕のSwimとRunのレベルからは、Bikeは独走で順位あげてリード稼げないと、ここまでの成績はないとはいえね。
 
僕の姿はかなり知られてて、ほぼ常に見られてるわけで(だからレース中の写真を初対面の方からも頂ける)、それらトータルの評価へ委ねます。僕が変なレースしてないか、見てただけるとすれば、ありがたいこと。

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