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2013年12月 2日 (月)

LSD論争に決着! 3つのマチガイを突き止めたぞ

耐久スポーツ界では、「LSD」=ゆっくり長く走る練習=が必要かどうか、論争が長く燻ってきた。なぜか。議論が咬み合わってなかったからだ。しかしそこはハッタリ八兵衛、その3つの原因を突き止めたぞ。順に、
  1. 定義の誤解
  2. 競技差の混同 (BikeかRunかTriathlonか)
  3. 競技レベル差の混同
だ。
1つだけでも十分咬み合わなくさせるものが、3つ重なって混乱に拍車がかかっている。
 
つまり、 「LSD」と誰かが言う時、その意味は、言う人ごとに違う。LSDの中身も、目的も、する人の状況も、違う。「僕だけのオリジナルLSD状態」だ。にもかかわらず、「みんな同じLSD」のつもりで語るので、「マイLSD押し付け合い状態」が発生し、話は咬み合わない。
 
まず始めに、1.定義、LSDとは何か、歴史を紐解いて確認しておこう。多くの議論は、ここからズレているから。
 
その起源は、1950年代NZのリディアード監督だろうか?  800mの選手にゆっくり長く走らせたりして、金メダルを量産し、60年代にはアメリカの市民レンナーにゆっくり走らせてジョギング・ブームを起こした。その理論は今でも基本として浸透している。
それから進化したLSDの流派はおそらくコーチの数だけあるのだろうが、ランニング理論として完成させた1人が、1980年代の佐々木功監督。
それをシンプルに説明したのが、この古典的名著: 
浅井えり子選手の活躍から30年経った今でも、合理性があると思う。
 
『LSD→コンディション・コントロール(スピードとか)→オーバートレーニング(ポイント)』 の3日の基本周期の中で、LSDはたしか、男子なら1km3分で3−40km走り通せれるトップランナーに、あえて1km6−8分で走らせる。この落差が特徴だ。
身体の使い方が全く変わるよね。おそらくはランナーなりの「クロストレーニング」なのだ。
さらに、高負荷錬の後の疲労回復効果も意図している。ゆえにシーズン中の練習サイクルに取り込みやすい。
日本のランナーがLSDという場合、多くは、この方法論(とその傍系流派)を指している。
 
この本で感心したのは、LSDに限らず、いろいろな動きの中から、新たな動きを引き出そうとする自由な創造性だ。表紙の写真もそうで、頭になにか載せて落とさずに歩く練習をしている。そして方法論がとてもシンプル。トレーニングとは、こうあるべきだと思った。
 
さて一方で、自転車レーサー達も、リディアードのLSDを彼らなりに取り入れ、主にオフシーズンからのトレーニング立ち上げ期の練習の中心としている。
ただし、その特徴は、心拍域が65〜80%くらいで高め。そして6−8時間。いわゆる「L3」の中負荷持久走だ。
また途中でスプリントとか挟んだりもするという情報もある。
それって普通に「ロングライド」ぢゃん。
 
どうですか。
LSD=心拍120以下、って思い込んでませんでした? 
 
このように、LSDという同じ言葉は、ランニングと自転車とで、全く違うものを指す。
落語か!
これが、LSD論争を咬み合わなくさせる第一の要因、「競技の違い」。
 
誰が、どの場面で、どの目的で、LSDするのか
それを明確化する作業を怠るから、同じ土俵にすら乗ってないのだ。
 
 
<追記@12.8>
結局、「LSD論争の3つのマチガイ」とは、
  • 言葉の意味を「定義」しないので、
  • 別の「競技」の話が混ざり、
  • さらに、「本人が目指す競技レベル」、つまり、参加目的、現状の体力・経験、などを無視して語ってしまう
「定義」が全てなのだ。
その定義は、「競技」や「レベル」という変数によって異なる。

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